支援は難しい
私は、発達障害や不登校などで躓きがある子ども達に学習指導や療育を行う放課後等デイサービスで短時間のアルバイトをしている。
そこに、私と同じ場面緘黙症と思われる子が1人来ている。
昔の私と同じように、声を発することや表情を変えることができないみたいだ。
でも、SST(社会で生きていくのに必要なスキルを身につける練習)で行う伝言ゲームやはぁっていうゲームでは文字で参加することができている。
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そんな感じだが、今まで私の働いている放課後等デイサービスにはよく喋る子達が沢山来ているためか、私以外の先生達はやっぱり接し方に迷ってしまうようで、緘黙児にどのように接するのがいいかと私に尋ねてくることがある。
バイト先の放課後等デイサービスでは私は場面緘黙症で昔は外に出ると全く喋れなかったこと、笑えなかったこと、身動きができなくてトイレにも行けなかった時期があることを話してあるため、先生達に自分の経験や場面緘黙症について調べた知識を踏まえて尋ねられたことに答えている。
だけど、私は場面緘黙症の経験者ではあるが、実際に指導していて、場面緘黙症を経験しているからといって自分が場面緘黙症の子に適切な接し方ができるかというと、そうでもない。
まず、自分がまだ人とのコミュニケーションが十分にできない。
自分から働きかけるのは未だにものすごく苦労する。
一応、放課後等デイサービスの先生として働いているものの、子どもたちに対してすら話すことが不安で言葉が出て来ないことがあったり、子どもたちに勉強を教えるのにも緊張して、書きながら教えるときなんかは手が震えるのを必死に堪えたり、話しかけられて頬が熱くなるのを感じたりと、まだまだ社会不安障害の症状は出まくりで、他の先生みたいにちゃんと子どもたちに働きかけて指導することは正直できてないと思う。
それが緘黙の子に対してとなると、その子の緊張がものすごく伝わってくるからか、どういうわけか、私も緘黙の症状が出そうになる。
私は、自分が場面緘黙症だからこそ、場面緘黙症の子の支援をしたいと思っていたし、緘黙児の気持ちがわかる故に適切な接し方もできるかもしれないと思っていたが、なんかそれ以前の問題で、自分がままならないと人の支援は本当に難しいんだということを強く感じた。
あと、こんなことがあった。
自由時間にその緘黙の子と1人の先生と他に何人かの子どもたちがトランプをしているのを私はその日の記録を書きながら見ていた。
すると、1人の子が、緘黙の子が話をしていないことに気づき、
「ねー、先生!この子何も喋らないよ!何考えてるかわからなくない?」
と一緒にトランプをしていた先生に言ったのだ。
そのとき、その先生は、
「先生は〇〇ちゃん(緘黙の子)の声ちゃんと聞こえてるから大丈夫だよ〜😊」
と返していた。
「何も話さない」とか、「何を考えてるかわからない」とかは何回も言われてきて、その度に深く傷ついていたのだが、昔のこととはいえ、自分が言われたわけではないとはいえ、その子が緘黙の子を評した言葉に私はグサッと来てしまった。
そのとき、私はこう思った。
「もし、今彼女達とトランプをしていたのがわたしだったら、どうしていただろうか。」
と。
その先生の、
「〇〇ちゃんの声はちゃんと聞こえてるよ」
という言葉は、すごく暖かかった。
私がその〇〇ちゃんだとしたら、そんなふうに言ってくれる先生になら少しずつ心を開いていたと思う。
だけど、そこにいたのがもしその先生じゃなくて私だったら、多分表情を強ばらせて固まっていたかもしれない。
場面緘黙症の経験をしたからこそ、私のようにコミュニケーションが取れないことに困り続ける子どもを減らしたいと思ってきた。
だけど、実際に放課後等デイサービスで仕事をしてみて、自分が支援者として関わるにはまだまだ私が緘黙を克服する必要があると強く感じた出来事だった。