なおの場面緘黙症日記

外で喋りたくてもうまく喋れない私の日記。YouTube「場面緘黙症なおちゃんねる」→ https://m.youtube.com/channel/UCFu5NR7KQwj8G0q6uzjNUVA

詠めない

今週のお題「575」

 

小学生から高校まで学校に通っていて、標語や川柳、俳句を詠むと言う課題があったことを思い出しました。

私はこの課題が苦手で苦手で仕方なかったです。

「575」のリズムに合わせて、川柳や俳句は自分の心情だったり、季節の情景だったりを表現したり、標語は交通安全やあいさつ、薬物防止などを訴えたりするために、見た人の印象に残るように作らなければいけません。

「575」という、たったの17文字で表現するのって、とても難しい事だと感じていましす。

私は普段、日常で起こったことや思ったことをTwitterでつぶやいていますが、Twitterは140文字っていう制限があって、140文字にまとめるのすら文字数が足りないと思う時もたくさんあるので、17文字で人に伝わるものを作るなんて高難易度すぎると思います(゜_゜)

また、私は小学校から高校まで自分の考えていることや思っていることを他人に知られることに強い抵抗を感じていました。

私は場面緘黙症ですが、その症状の一つに、「自分が話しているところを他人に見られることに強い抵抗を感じる」というものがありますが、それの影響も少なからずあるかもしれません。

 「575」って、自分のアイデアが思いっきり出てしまうものだと思います。

小中高時代の当時、普段全く言葉を発さない私がどんなアイデアを出したか知られることは、耐え難い事でした。

「575」の課題は、絵や習字などと同様に、教室の後ろの壁に貼られることもあり、それがまた恥ずかしかったと記憶しています(〃ノωノ)

 

また、私は放課後等デイサービスで子供たちに学習支援をする仕事をしていましたが、子供たちの夏休みや冬休みの宿題で標語や川柳、俳句を作るものがあり、それについてアドバイスなどをすることもありましたが、自分が書けないものを人に教えることなどは非常に難しく、季語の調べ方を教えたり、季節ごとの思い出などを一緒に書き出したりすることはできましたが、アイデアの例を出す事はできず、私よりも子供たちの方がアイデアをポンポン出していて関心するばかりでした。


ここで一句。

五、七、五

いつになっても

詠めないな