なおの場面緘黙症日記

外で喋りたくてもうまく喋れない私の日記。YouTube「場面緘黙症なおちゃんねる」→ https://m.youtube.com/channel/UCFu5NR7KQwj8G0q6uzjNUVA

なお、先生辞めたってよ

 

以前のブログで

naotora57.hatenablog.jp

仕事を変えた話をちらっとしましたが、今日は前職を辞めた話を書こうと思います。

何度かブログにも書いたと思いますが、私は今年の1月末までは発達障害不登校の子どもたちに学習指導をしたり、療育をしたりする仕事をしていました。

 

私は、自分がずっと場面緘黙症で話すことができなくて、義務教育から高校まで本当に大変で、苦しいことがたくさんありました。

そして、現在30歳手前になってもいまだに緘黙の症状は完全には取り除けておらず、人と親しくなることが難しかったり、仕事も沢山はできなかったりして、苦労しています。

未だに他人と会話することがうまくできずにいる原因の一つとして、昔の学校生活で話せなかったことで周りの人から自分のことをなかなか理解してもらえなかった経験のトラウマが少なからずあると思っています。

好きで話せなくなっているのではなかったけれど、やっぱり一言も話せないでいると周りから見たら変な人で、気味悪がられたことがたくさんありました。

そんな中でも、私と仲良くなろうとしてくれた子がいたり、優しい言葉をかけてくれたり、歩み寄ろうとしてくれた人の存在は今でもとてもよく憶えていて、私はうまくその人たちに応えられなくて申し訳なかったけれど、その人たちには本当に感謝しています。

また、自分が場面緘黙症で苦労した経験を無駄にしたくないという思いもあり、自分の経験を何かに役に立てたいと考えていました。

だからこそ、今現在昔の私のように学校生活で困っている子どもたちの力になりたいと思っていたので、放課後等デイサービスの仕事を始めることにしました。

 

このように目標をもって仕事を始めたのはいいものの、やっぱり始めた当初はまだ今よりも対人不安の症状が強く、緘黙の症状も出ることがあって、自分から子どもたちに話しかけたり、働きかけたりすることがうまくできませんでした。

決められた勉強時間になっているのに、子どもたちに勉強をするように促すことすらできないときもあり、もはや指導員として職場にいる意味もない感じでした。

子どもたちももしかしたら、私の先生らしからぬ口数の少なさに戸惑っていたかもしれず、とっつきにくい先生だと思われてしまっていたかもしれません。

そのような状況ではいけないと思い、必死に自分から子どもたちに働きかけるよう努めるようにしたら、だんだんと子どもたちとは特に問題なく会話ができるようになり、勉強などの指導はもちろん、子どもたちと雑談することもできるようになりました。

 子どもたちに勉強を教えたり、お話をする中で、発達障害と一言で言ってもその子によって得意なことや苦手なことは全く違うし、「この障害だからこの接し方がいい」と決めつけて接するのではなく、その子をちゃんと見てどんなふうに接したらいいかを考えながら仕事をすることが本当に大切だと感じました。

 

私が働いていた放課後等デイサービスには、よく話し、よく動くタイプの子供たちがたくさん来ていました。

そのような子たちは学校などではきっと先生から

「静かにしなさい」

「落ち着きなさい」

と言われてしまう事が多いのではないかな、と思います。

よく口が動き、体も動いてしまう事で、授業や学級会などで騒がしくしてしまう子はたくさんいますよね。

私は、学校で全く話せず、その子たちとは対極なタイプだったので、人前で騒がしくする人の気持ちは正直分からずにいました。

でも、私が人と話せなかったのが、好きでそうなっていたわけではないように、その子たちだって好きで騒がしいわけではなく、その子たちはその子たちで自分をうまくコントロールできなくてそうなってしまうのかもしれない、もしかしたら、落ち着くことができないことをとても悩んでいるかもしれない、と考えました。

私は、場面緘黙症で話せなかったことを頭ごなしに否定されることでたくさん傷ついた経験がありました。

 好きでそうなっているわけではないのに否定されることは苦しかったし、なんでわかってくれないのだろう、と思っていました。

気持ちは理解しきれなくても、想像しながら接することが大事で、その子の気持ちを想像することを心がけました。

これは多分、自分が場面緘黙症を経験したからそう考えることができたのだと思うし、もし私が緘黙を経験していなかったら、自分の理解できない行動をする人に対して否定的な態度を取ってしまっていたかもしれません。

これまで、「自分が場面緘黙で苦しんだ経験を無駄にしたくない」と思ってきましたが、放課後等デイサービスの仕事で少しは経験が役に立ったんじゃないかな、と思っています。

 

なんでやめた?

これまで緘黙の経験を生かして、今学校生活が思うようにいかない子ども達をサポートしたいとずっと思っていて、実際にそれができる仕事をしていたのにどうしてやめてしまったのか。

それは、いまだに私は場面緘黙症から完全に脱せた訳ではなく、仕事をしていて自分のできることに限界を感じたからです。

 (↓以前そのことについて動画でもお話してます。)


www.youtube.com

 

子ども達への学習指導をするには、どうしても話すという行為が必要不可欠です。

また、子どもたちに集団行動を身に着けさせる活動の時や、一緒に運動するときなど、皆に聞こえるような大きさの声で話さなければならなかったり、皆が見ている中で体を動かしたり、私の病気の特性上、しなければならないことは理解していましたが、その日の調子によってはうまくできないときもたくさんありました。

子ども達との時間は本当に貴重な時間で、そのまま先生としてかかわり続けたい気持ちはあったのですが、自分の病気の調子によって私の指導が変わってしまっている気がして、それは子どもたちにとって良くないことだと思っていました。

また、話さなければならない、動かなければならない仕事なので、私の病気の調子が少しでも悪いと、職場に出勤したとしてもほとんど何もできないことが予想され、そうすると休まざるを得ず、職場の人に毎回迷惑をかけてしまうし、それだけ収入も減るので、家計に余裕があるわけではないため母にも大きな負担をかけてしまうことになっていました。

自分自身が病気で自立がままならないのに人の支援はできない、ということに気づきました。

だから、仕事は、自分の病気のことも考慮して、無理なく続けることができる仕事をして、そのためのスキルをどのようにして身に着けるか、という方向に考えを変える事にしました。

なので、現在はパソコンを使う仕事をしながら、パソコンを学んでいます💻

今の仕事は座って黙々とできるので、以前のように休んでしまうこともなくなりました。

それでも、緘黙の経験を何らかの形で生かしたいとは思っているので、今は自分の体験談をブログに書いたり、動画を作ったりするのを続けていきたいな、と思っています。

 

 

放課後等デイサービスの仕事は4年半位続けましたが、この4年半、本当に貴重な経験をたくさんさせてもらえたので、この期間のことを忘れずに、今後も頑張っていこうと思っています。