とある緘黙女のこの10年 ①
はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」
私が利用しているブログサービス、はてなブログが10周年ということで、お題が出ているので、私のこの10年で変わったこと、変わらなかったことについてお話していこうと思います。
私の10年間とは
私はもうすぐ28歳になってしまうので、10年前というと18歳。
高校3年生の後半から今にかけてが10年間になります。
私は、高校卒業までほとんど家族以外の人間と話ができず、大学から少しずつ他人と話すようになって、その中でうつ病にかかるなど辛くて大変なこともあったけど、大学時代や卒業後にたくさんの人に助けてもらったり、関わってもらったことで緘黙の症状は10年前と比較すると本当によくなりました。
その10年を大まかに振り返って行こうと思います。
大学受験
高校3年生の後半と言えば、大学受験の時期でした。
私は地元の国公立の大学を第一希望にしていましたが、学校で話ができないストレスから家ではひたすら気晴らしばかりしており、あまり受験勉強に取り掛かることができず、センター試験でもあまり良い成績を残せず、希望の大学はE判定という絶望的な状況でした。
滑り止めの短大には受かっていましたが、その短大は9割女の子が通う短大で、当時女子だけの環境に尋常じゃない恐怖を感じていた私にとっては短大はあまり行きたいとは思えませんでした。
国公立の受験には前期と後期とあり、前期は学力試験、後期は論文を書く試験だったのですが、前期は案の定落ちてしまいました。
センターでの判定はEだったし担任からも短大に決めたらどうかと言われましたが、私はどうしても国公立大学が良かったので後期の論文の試験を受けました。
私は高校で小論文を書く授業でお手本としてみんなの前で文章を読まれたことがあり、文章にはそこそこ得意だという意識があったので、ダメもとでどうしても後期の試験を受けたかったので後期の試験まで論文をひたすら書きました。
すると、なんとセンター試験でE判定という酷さだったにも関わらず、合格することができました。
合格発表は自宅のパソコンで見たのですが、自分の番号を見つけたときには泣きながら大はしゃぎしてしまいました。
担任に合格の報告をしたところ
「え、見間違いじゃないのか!?」
と失礼な事を言われましたが、担任がそんなことを言うレベルで絶望的な受験でしたが、受かることができて天にも昇る心地でした。
担任はとにかく厳しく口うるさい先生でしたが、先生が論文の担当の先生でもあり、先生のおかげで合格できたことは言うまでもないことなので、本当に感謝しています。
大学1年生になって始めたこと
こうして晴れて大学生活がスタートしました。
高校までほとんど他人と会話をしてこなかった私も、さすがにこのままではだめだと思って、大学時代を機に喋れるようになろうと努力し始めました。
そこでまず始めたことがマクドナルドでのアルバイトでした。
まず面接がものすごく怖かったのですが、親からの圧が強かったり、自分でも話せるようにならないとこのままでは生きていけないと思っていたので勇気を振り絞って応募しました。
面接ではとにかく変な人だと思われないようにとにかく無理やり話した結果受かり、カウンターでの接客を始めることになりました。
もう一つがサークル活動への参加でした。
中学校から高校まで私は部活に一切入らず、授業が終わったらすぐさま家にまっしぐらな生活をしていたので、大学生になったらサークルに入って他人と関わろうと思っており、優しい人が多そうなボランティアサークルに入ることにしました。
ボランティアと言っても種類がたくさんありましたが、私が参加したのは自閉症の子供たちと関わるサークルでした。
もちろん、自閉症の子たちをサポートする役割なのでやはり話せることは必須のスキルだったため、サークル活動を通して自分もどんどん他人と話ができるようになることを目的として活動に参加しました。
場面緘黙症を知る
そんなこんなで喋らざるを得ない環境に身を置いた結果、これまで全くできなかった自分から挨拶をすることや話しかけられた時に首振りやうなずきではなくちゃんと口頭で返事をしたりすることができるようになっていました。
それまで挨拶は自分からなんてあり得なかったし、向こうがあいさつしてくれても返すことすらできなかったのに、できるようになったので
「あぁ、挨拶ができるって素晴らしいな」
と、挨拶を普通にしたり返したりできることがいかに幸せかをかみしめていました。
また、挨拶以外での会話はまだうまくできず、話しかけられても緊張で頭が回らずにうまく返事ができなければ会話が広がることもなく、そんな感じなので大学でもサークルには一応参加しているけど会話はあまりできなかったし、ゼミでもやっぱり同年代の人たちに対する恐怖心が強く残っていたのでゼミの人たちとも仲良くはなれなくて結局1人行動がほとんどという感じでした。
そんな時、たまたま見かけたある番組の予告に私は目を奪われました。
その予告には
「家族以外と話せない少女!その心の秘密とは!?」
という言葉が出ていました。
それを見た私は思わず固まってしまいました。
というのも、私は生まれてからその時まで、他の子たちは普通に家族以外の他人と会話しているのに自分だけできないのには何らかの障害や病気なのではないかと思ったことはあったけど、そのときはまだ自分が病気だと知らなかったし、周りの人たちも私も「話せないのは自分の性格の問題だ」と思っていたので、その予告はこれまで私が会話ができなかったことの原因が番組を見ればわかるのではないかと思い、その番組を必ず見ようと決意しました。
そして、その番組の放送日が来て、実際に番組を見たところ、「場面緘黙症」という言葉を初めて知ることになりました。
そして、紹介されていた場面緘黙症の女の子の特徴が私が話せなかった時と全く同じで、見ていていろんな感情が沸き上がり、涙が止まらなかったです。
あまりにも私と同じだったことから、母に
「これって私と同じだよね」
と話したところ、母は、
「実はね、あんたも小さい頃に場面緘黙症だって診断されてたんだよ。」
と言いました。
「だろうな」
と思いました。
母は、私が自分が病気だと知ったらショックを受けて学校に行かなくなってしまうのではないか、他人と話せるようになることを諦めてしまうのではないかと心配していて、なかなか私には場面緘黙症だと言えなかったようでした。
しかし、知った瞬間私が感じたのは
「あぁ。よかった。」
という感情でした。
これまで話ができないのは自分のせいだと思っていたけど、病気だったとわかると自分をもう責めなくていいんだと思ったのです。
また、病気ということは自分以外にも同じように悩んでいる人たちがたくさんいるということで、これまで家族とは喋れるのに他人と話せないなんて人は私の周りにはいなかったし、世界で私だけなのではないかと思っていたけど他にもいるんだとわかってとても安心しました。
でも、場面緘黙症を知ったからと言ってその当時は頑張って少しずつ話せるようになっていた時期だったし、病院に行く必要もないと思っていたので、しばらくはそのままの生活が続いて行くことになりました。
続く