なおの場面緘黙症日記

外で喋りたくてもうまく喋れない私の日記。YouTube「場面緘黙症なおちゃんねる」→ https://m.youtube.com/channel/UCFu5NR7KQwj8G0q6uzjNUVA

とある緘黙女のこの10年③ 

 

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと


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naotora57.hatenablog.jp

 

心療内科で力になった言葉

心療内科の診察も先生と話をしないことには何に困っているのか先生に伝わらないので、とても緊張していました。

これまでの学校の先生と同じように、「気にしすぎ」と一蹴されやしないか、喋れないのは私の頑張りが足りないからだとか、いつまでも他人が怖いのは甘えだとか言われてしまうのではないかと不安でいっぱいでした。

不安の中、診察室に入ると、自分の気持ちや状況を先生に伝えようと必死に話しましたが、話しているうちに感情が高ぶってきてしまい、大泣きしながら先生にこれまでの経緯を話したような記憶があります。

話し終わった後、いったい何を言われてしまうのかと身構えていましたが、帰ってきたのはこんな言葉でした。

「あなたは今までずっと一人で頑張ってきたんだね。

場面緘黙で自分だけ話せない状況の中、ずっと学校に行き続けていたのは気持ちが相当強くなくちゃできない事なんだよ。

だから、まずあなたは絶対に弱くない。

話せないことで馬鹿にされたり、悪口を言われたりしても、あなたは基本的に負けん気が強いから家族にも誰にも相談せずにずっと一人で戦ってきたんだよね。

その強さがあるんだから今みたいに自分をダメだと思い込まなくてもいいんだよ。

あなたの元々の強さにプラスして、人に頼ったり、味方に相談したりすることができるようになれば、きっと今まで見たいに苦しい気持ちで生きなくても済むようになるから、それをできるようにこれから練習していけばいいよ。」

これまで、家族に対してはわがまま放題だったこともあり、家族にはよく「なおは気が強い」と言われてきていましたが、家族以外の人に強いと言ってもらえたのは初めてでした。

思い返してみれば、私が小学校から高校までいじめられたり、悪口を言われたりしても学校に行き続けた大きな理由は「私だって好きで黙っているわけじゃないんだ。」という悔しさや、「私がこの学校からいなくなったら、あいつらを喜ばせることになってしまうし、私の勉強だって遅れて進学もできなくなってしまう。それだけは絶対に嫌だ。私だってあいつらの陰口でストレスたまってるんだ。じゃああいつらだって私を見て不快な気持ちにでもなればいいんだ。」と、私に対して気持ち悪がったりいじめてきたりする人たちに対して思っていたからでした。

 

あぁ、私はそんな気持ちでずっと生きてきたんだった。

 

この時点で大学をさぼり始めてから約2年が経過していましたが、この2年間失っていた自分の気持ちを先生の言葉で思い出しました。

そこから、大学に戻るために準備や、新しい仕事のきっかけができていきました。

 

治療と放課後等デイサービスでの仕事のきっかけ

 

とはいえ、この時はまだうつ病の症状も社会不安障害の症状も強く、電車も母の付き添いがないと一人で乗れないという状態でした。

そのため、まだ続けていたファーストフード店でのアルバイトをすぐにやめてとりあえずは治療に専念することになりました。

すると、私の体には変化が起き始めました。

それまで、ストレスでお酒を毎日のように飲んでおり、お酒を飲むと食欲も止まらなくなって、とても太ってしまっていたのが、学校は休学してバイトはやめて、不安を感じることが大きく減ったためか、お酒を飲む必要がなくなり、それに伴って食べる量も減っていったことで、意識的に「ダイエットをしよう」と思っていたわけでもなく、自然に体が痩せていきました。

体型もコンプレックスの一つだったけど、ストレスにより自分で飲食のコントロールができなかったので、ストレスから離れて体型も整っていったことは一石二鳥でよかったことでした。

 

また、家で休むだけでなく病院にも通って、医師の診察だけでなく、カウンセリングを受けることも始めました。

その時には体調が少しずつ良くなってきていましたが、バイトを辞めたことでお金を稼ぐことができなくなったので、今後大学を卒業するための学費の準備をどうするかが新たな悩みになっていました。

そこで、カウンセラーさんに「学費はどうしたらいいでしょうか」という相談をしてみたところ、そのカウンセラーさんが紹介してくれたのが、発達障害不登校の子供たちに勉強を教える、放課後等デイサービスのお仕事でした。

私自身、場面緘黙症で小学校から高校までうまくいかない事ばかりでした。なので、将来は何かしら学校生活に困っている子供達の力になる仕事をしてみたいと思っていたので、この仕事のお話をされたときには「私が希望していた仕事ができるかもしれない」と思い、すぐに「興味があります」と言った記憶があります。

その放課後等デイサービスは、そのカウンセラーさんが代表を務めている放課後等デイサービスでした。

そこから何回かカウンセリングを受けたのち、実際にその放課後等デイサービスへ見学に行ってみることになりました。

 

放課後等デイサービスの見学

興味があるとはいえ、私自身もまだまだ不安障害が強く、見学も口から心臓が出そうなほど緊張しながら行きました。

その放課後等デイサービスでは小学校1年生から高校3年生までと利用者の子供達の年齢層が幅広かったです。

とても緊張しながら行きましたが、小学生や中学生の子たちが私にとても気さくに話しかけてくれ、ここの先生になるかもしれないという立場でありながら、子供達に話しかけてもらっている新入りの子供のような見学になってしまっていました。

でも、この場では気さくで明るい子たちだけど、学校では大変な思いで通っているのではないかと考え、この場所がこの子たちにとって居心地が良いなら、放課後等デイサービスってすごくいい環境だな、と思いました。

また、子供たちのよりどころのような環境で仕事をすることは、私がやりたかったことそのものなきがして、見学後、もう少し私の病状が安定したら、この仕事をやってみたいという話をカウンセラーさんにしました。