とある緘黙女のこの10年④
はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」
前回↓
の続きです。
学校生活での配慮
バイトを辞めて療養し4か月が経過し、精神的にもかなり安定してきたため大学に復学することになりました。
でも、安定してきたとはいえ、まだまだ緘黙の後遺症である社会不安障害の症状は残っていたし、うつ病も調子のいい日と悪い日があったり、卒業するために必修の授業の中にみんなの前でプレゼンをしないと単位がもらえない授業があったりして、私一人の力では単位が取れず、卒業ができない教科があったりしました。
そこで、ゼミの先生が提案してくれたのが、私が受ける教科の担当の先生に事情を話して、配慮が必要であれば配慮してもらうということでした。
発表しないといけない講義では、私を指さないようにしてもらう代わりにレポートを提出するようにしたり、プレゼンが必要な講義では学生たちみんなの前ではなく、教科の担当の先生の研究室に行って先生1人だけにプレゼンを聞いてもらうという方法を取ったりしました。
余談ですが、そのプレゼンの講義の担当の先生が本当にかっこよくて大好きになり、今となってはとてもいい思い出になっています。
放課後等デイサービスでの仕事
学校に通いながら、放課後等デイサービスでのアルバイトも行いました。
実際に働いてみると、やっぱり緘黙の後遺症でうまく子供たちに働きかけることが最初はできなくて、落ち込む事もありましたが、子供たちを支援することを仕事にしたいと思っていたことが叶っていることはとても恵まれた事だと思い、自分なりに子供たちに働きかけたり、たくさん会話をしたりするように心がけました。
一口に発達障害と言っても子供によってできることとできないことが違っていて、勉強の教え方もその子にとって分かりやすい方法を考えながら教えるようにしました。
勉強以外にも友人関係や思春期の子たちもいたので恋愛関係がデイサービス内で起こるなどしており、勉強だけでなく人間関係も学ぶ機会になっているんだなと実感しました。
また、子供たちを支援する仕事ではあったけど、私自身のコミュニケーションの練習の場にもなっていました。それまで雑談をするときは緊張で頭がほとんど回らず、言葉が出てこなかったのですが、子供たちと会話するようになったことで少しずつ雑談ができるようになっていきました。
自分が学校生活で悩みが尽きなかったからこそ、子供たちの学校での悩みを聞くことにやりがいを感じていたり、学校での楽しかった話や何気ない話を聞くことはいい学校生活を送れているんだな、良かったなぁと思いながら聞いたりして、私にとっては本当に有意義な時間でした。
大学卒業後
このような感じで大学生活とバイトをする生活を2年ほど続け、無事に大学を卒業することができました。
ゼミの先生が私を助けてくれなかったら私は大学を卒業できず、それが原因でうつ病はさらに悪化し、二度と外に出られなくなっていたかもしれません。ゼミの先生は私の人生の恩人で、本当に今でも心から感謝しています。
大学卒業したと言っても、社会不安障害の症状から就職活動はまだできなくて、卒業してからもしばらくは放課後等デイサービスでのアルバイトを続けていました。
アルバイトはとてもやりがいがあって、子供達と接する中で気づきや学びが多かったのですが、それと同時に悩みもありました。
この動画でも話しているのですが
私は自分が社会不安障害を患っている中で、自分が子供たちを支援することに関してできることに限界を感じるようになっていきました。
この仕事は、やはり話をすることで成立する仕事なため、その日の調子によって言葉がうまく出てこなかったり、うまく動くことができなくて、これ以上は私にできることはないかもしれない。
ずっと学校生活で困っているこの助けになる仕事をしたかったけど、自分がまだ病気で困っている状態で子供たちを支援するのはまだ早かったのかもしれないと思うようになりました。
なので、一旦放課後等デイサービスでのアルバイトをやめて、黙々とできる仕事をしてみるのがいいのではないかと思いました。
でも、正社員として働くことや、健常者として働くことにはまだまだ不安があったので、現在は就労継続支援のA型事業所で仕事をしています。
仕事の内容はデータ入力やオフィスソフトを使った仕事、illustratorの学習、ライティングなどパソコンを使った仕事を幅広くやっています。
自分が今後何をしたいのかまだ見えていないけど、パソコンのスキルを持っていれば選択の幅が広くなるし、パソコンに向かっての仕事なので静かにできるため放課後等デイサービスでのアルバイトの時よりも多くの時間働くことができるようになりました。
まとめ
数回に分けて私の10年間についてざっと振り返って書いてきましたが、いろいろなことがあった10年間でした。
場面緘黙症という言葉を知るまでは自分を押し殺し、自分が話せないことはできるだけ考えないようにしていましたが、この10年はうつを発症したり就活など一般的な道からは少し外れてしまったけれど、自分の病気と向き合ってどうやって生きるのがいいのかを模索した10年間だったと思います。
まだ、自分が今後の人生をどう生きていくか定まっていないので、これからも自分の生き方を模索し、少しずつ進歩しながら楽しく過ごしていきたいと思っています。