合唱発表会の伴奏に立候補した話①
これは私が中学校3年生の時の話です。
私は場面緘黙症で幼稚園生の時から高校卒業まで家族や親戚以外の人間と口頭で会話することができませんでした。
そのため、学校ではほとんど口がきけず、ひどい時には身体も動かすことができませんでした。
そんな私が中学校3年生の時の合唱発表会でピアノ伴奏に立候補し、実際に伴奏を行いました。
それが私にとっては鮮明に覚えている出来事なので、今回はその思い出を語りたいと思います。
なぜピアノ伴奏に立候補することにしたのか
私は学校でほとんど自分を表現することができなかった半面、家庭では自己主張激しいわがままなふるまいをしていました。
学校と家庭内であまりにも違うので、私自身も二重人格かなにかの病気なのではないかと思うレベルでした。
そんな中、学校行事等で母が学校に来ることが何回かありました。
その時、家とはうって変わってしゃべることができず、表情をこわばらせている私を見るたびに、母が本当にショックを受けていました。
その時の母の顔を見た私もショックを受けたし、母に自分があんな顔をさせてしまっているということが苦しくて仕方なかったです。
母がショックを受けている様子を見るのが嫌で、家に帰ってから、
「そんなにショック受けるんだったら学校行事とか来なくていいから!」
と泣きわめいてしまったこともありました。
子を持つ親としては、学校で自分の子供が生き生きと過ごしたり、一生懸命頑張る姿を見ることを大きな楽しみにするかと思いますが、私がこんな感じだったので、学校で母に頑張っている姿を見せて喜んでもらうことがあまりなかったです。
そんな感じで時は流れ、私が中3になった時でした。
私は当時ピアノを習っており、私がピアノを弾いているのを見ていた母が、「いつかあんたも合唱コンクールとかで伴奏とかしたらいいのにねぇ」と何気なく言いました。
その時は「そんな目立つこと私ができるわけないじゃん」と思って流したのですが、その数日後、学校で休み時間だったか、何故か音楽室のピアノを弾く機会があり、それを見ていた音楽の先生が、
「なおさん、もしよかったらこれ弾いてみない?」
と、合唱発表会の課題曲の楽譜を私に渡してきました。
(私に渡したってなんかダジャレ・・・( ^ω^)・・・)
母が私に伴奏やってみたらいいのにと言ったタイミングと楽譜をもらったタイミングが見事にあっており、また、学校行事に親が来ることは高校生になると大幅に少なくなると思い、母がぽろっと言った伴奏の演奏を叶えるのは今回が最初で最後のチャンスではないかと思うようになりました。
それでも、私は伴奏したいということを表明する勇気も、実際にみんなの前でピアノを弾く勇気もなかなか出てこず、しばらくそれから何日か経過していました。
そんな時、私が伴奏に立候補することを決心する出来事が起こりました。
それは、母が膵臓を悪くして、しばらく入院することになったことでした。
私は、病気になった母を元気づけたいと思いましたが、当時は絶賛反抗期中で素直な子供ではなかったので、口ではそんなことも言えず、でも何とかして元気になってほしいと思っていました。
そこで伴奏のことを考え、もし、私が今回伴奏をして、頑張っている姿を母に見せることができたなら、もしかしたら母は元気になってくれるかもしれないと思ったのです。
実際に立候補してみた
私のクラスにはもう一人伴奏をしたい子がいて、その子のことも考えるとなかなか私もやりたいなどと言えなかったのですが、正式にピアノの伴奏者を学級活動で決める日が来て、私は意を決して、震える手を挙げ、伴奏に立候補しました。
普段意思表示をすることのなかった私が突然ピアノの伴奏がしたいと表明したことで、案の定その学級活動の空気は何とも言えない、変な空気になってしまいました。
「あ、なおさんもやりたいんだね・・・」
と言った感じで、クラス内はドン引きした空気で静かになってしまったのを鮮明に覚えています。
もう一人伴奏がしたいと言っていた子に至っては、もう自分がやるつもりでいたのが、急に私もやりたいと言い出したことに猛烈な怒りを覚えた様子で、彼女が一気に不機嫌になったのが分かりました。
でも、私は彼女を邪魔したくて立候補したわけではなく、私には私なりの立候補した理由がちゃんとあったので、そこで折れるわけにはいかず、希望者が二人いると言うことで学級活動の時間が終わりました。
何とか手を挙げて立候補したのはいいものの、翌日からの学校生活は地獄でした。
まず、もう一人の希望者の女の子は私への当たりがとても強くなり、しょっちゅう睨まれるようになりました。
また、その子は賑やかで派手なグループの1人だったので、その賑やかグループの人たちからも聞こえるように悪口を言われることがとても多くなりました。
そのグループを中心に学級は回っている、と言うような状況もあり、大多数の人が私ではなくもう一人の子に伴奏をしてほしいと思っている空気が強く感じられました。
私のような、普段喋らない生徒が急にピアノ伴奏に立候補するとこうなるだろうな、ということは立候補する前から予想はついていて、だからこそ手を挙げるときに手が震えたのですが、実際に予想通りになってしまうと精神的にとても辛かったです。
酷い日には、何を言われたかは忘れてしまいましたが、何かとても傷つくことを言われて教室に戻れず、カウンセラー室で1人で号泣するような事もありました。
そんな中、どうやって伴奏者を決めるのかという話が教師たちの間で交わされたのでしょう。
私ともう一人の希望者の子二人でオーディションを行い、上手な方が伴奏をするということになりました。
当然、圧倒的にもう一人の子を応援する子が多くて、完全アウェーな状況でしたが、入院している母のことを考え、母をちゃんと学校に呼べるのはこれが最初で最後の機会で、どれだけ悪口を言われても1度やりたいと表明したからには自分から辞めるなんて格好悪いことは言えないと思い、オーディションを受けることにしました。
続く