なおの場面緘黙症日記

外で喋りたくてもうまく喋れない私の日記。YouTube「場面緘黙症なおちゃんねる」→ https://m.youtube.com/channel/UCFu5NR7KQwj8G0q6uzjNUVA

名前を呼べない

私が苦手なことの一つに、口頭で人の名前が呼べないということがあります。

現在働いているA型事業所でもなかなか職員さんの名前が呼べなくて、「すみません」とか、「あの、、、」とか言って何とかやり過ごしていたところ、ある日とうとう

「なおさんって人の名前あまり呼ばないですよね?呼ぶの苦手なんですか?」

と職員さんにも気づかれてしまいました。

苦手である旨を職員さんに話したところ、事業所に通う上で「人の名前を呼べるようになること」が目標の一つになりました。

職員さんは

「無理はしなくていいですが、少しずつ呼べるようになっていきましょうね」

と言ってくれたので、呼べそうな時は呼ぶ様にして、コンディション的にちょっと呼ぶのが無理そうな時は「すみません」とか「あの」とか言っています。

 

私はそういえば、昔から人の名前が呼べませんでした。

緘黙の症状が最も強かった小学時代や中学時代は口頭で呼ぶだけでなく、交換日記や手紙などで友達の名前を呼ぶことも一苦労で、「●●ちゃん」とか、あだ名とかを書くこともやっと行っているような感じでした。

 

何故こうも人の名前を呼ぶことが難しいのかというと、自分がその人のことを「●●」って名前の人だと認識していることを知られることに恐怖を感じるからだと思います。

どういうことなのかと言いますと、例えば私はごく一部の子としか仲良くなれなかったため、なおちゃんと呼ばれることよりも苗字にさん付けされることが圧倒的に多かったです。

そのため、誰かから「なおちゃん」だったり、他のあだ名で呼ばれると、呼んできた人に対して、「あぁ、この人は私の事を『なおちゃん』だと認識してくれているんだな」とか、「あ!今この人私の事下の名前で呼んでくれた!」とか「私はこの人にとって●●という認識なんだな」とか、自分が呼ばれる名前によってその人が自分の事をどう認識しているかを推し量っており、自分がどう呼ばれるかに関して敏感になっていました。

 

自分がこんな感じで名前を呼ばれることに敏感になっていたため、私以外の人たちもきっと、自分が呼ばれ方によってどう認識されているのか推し量っているに違いない、という発想でいます。

だから、私が人の名前を呼ぶということは、私自身がその人のことを「●●さん」だと認識しているということが相手に知れてしまうということだと思っています。

それに対して不安や緊張を覚えてしまい、今も上手く呼べないのかもしれないということに気づきました。

 

別に、苗字にさん付けぐらい大したことではないとは自分でも思うのですが、それでもやっぱり名前を呼ぶということに関しては今でも苦手意識があって、それは多分自分がどう呼ばれるかに敏感だから、相手も私がどう呼ぶかを気にするんじゃないかという風に考えてしまって、どうしても「すみません」とかの呼びかけしかできないのだと思います。

 

インターネットで結私の様に場面緘黙症の後遺症や対人不安やコミュニケーション障害がある人達のSNSを見ることが多いのですが、その人達の中には人の名前が呼びづらいという方もちらほら見かけます。

きっと私と同じ理由で名前が呼べなくなっている方もそこそこいるのではないかな、と思っています。