なおの場面緘黙症日記

外で喋りたくてもうまく喋れない私の日記。YouTube「場面緘黙症なおちゃんねる」→ https://m.youtube.com/channel/UCFu5NR7KQwj8G0q6uzjNUVA

この脱毛器がすごい

今週のお題「買ってよかった2021」

 

以前書いたブログにも書きましたが↓

naotora57.hatenablog.jp

 

私の大きなコンプレックスの一つがムダ毛が剛毛すぎる事でした。

だから、とにかくお金ができたら真っ先に脱毛がしたいと言うのが私の目標でした。

でも、私は今A型事業所での短時間労働しかできず、脱毛に通うだけのお金を稼ぐことが難しかったです。

そこで、どうにか安くでこの邪魔で仕方ない毛達を消滅させる方法はないかと考えたところ、家庭用脱毛器の購入をしようと思い立ちました。

でも、家庭用脱毛器はたくさんのメーカーが販売していて、正直最初はどれを選んだらいいのか分からなかったので、実際に使ってみた人たちの口コミがいい物を使おうと思いました。

 

そこで脱毛器について調べていくと、とある脱毛器の効果が半端ないらしいという情報を得ました。

その脱毛器と言うのが、ケノンでした。

ケノンは楽天市場で2021年の家電の売り上げ部門で1位になっていることから、とても売れている脱毛器ということが分かりました。

でも、私のムダ毛は毛深い男性のようなムダ毛なので、売れているだけでなく、私のようなムダ毛にもしっかりと効果がある脱毛器でないと買う意味がないので、剛毛にも対処できるのかも調べてみました。

すると、口コミや愛用者のブログなどから男性にも多くの愛用者がいるということが分かり、これが決め手となって、ケノンを購入することに決めました。

 

ケノンは7万弱と、決して安い買い物ではなかったのですが、私は顔には放置していると女なのにひげが生えてくるし、手足は剃っても毛穴が目立つし、剃っても剃っても1日経つと肌がジョリジョリしてくるし、かといって放置しているとゴリラのような体になってしまうし、正直毛のせいで自分が女性に生まれてきたことは何かの間違いだったのではないかと感じていました。

せっかくの10代20代の若い時期、おしゃれとか恋愛とか、女性としての楽しみを経験できなかったのは、場面緘黙症うつ病のせいもあったのは確かだけど、正直ムダ毛のせいでもあると思っていました。

それが、7万払って毛が消えるなら、安いものだと思い、購入ボタンを押しました。

 

購入してから自宅に届くまで2日と早く、届いたその日に実際に使用してみました。

光の強さが1から10まであり、私は剛毛なので8くらいで照射していきました。

最初の1回ではあまり効果はよく分からなかったのですが、2回目から、毛を剃って1日経ってもジョリジョリしなくなりました。

そして3回目になると毎日剃らなくてもよくなり、それ以降も週1回の照射を繰り返していくとどんどん生えてこなくなり、3ヶ月ほど続けた現在は週1回以上放置していても毛が生えてこない部位が出てきました。

 

私の剛毛にこんな光なんかが勝てるのかと正直使用してみるまでは半信半疑なところもあったけど、さすがケノン、私の毛に勝ちました。

最近、「あぁ、自分は女性だったんだな」と改めて感じられるようになりました。

ケノンは今年思い切って買ってみて本当によかった商品でした。

脱毛器の効果が半端なかったので、ケノンの美顔器も買ってみて、最近使い始めたところです。

 

これからも美しい肌を目指してケノンを使い続けていきたいと思います♡


 

合唱発表会の伴奏に立候補した話②

前回

naotora57.hatenablog.jp

の続きです

 

 

オーディションの日程も先生から告げられ、私は毎日一生懸命ピアノの練習をしていました。

オーディションという、なかなか大きな事態になってしまったこと、大勢の女子から悪口を言われていることが先生からの連絡で母にも伝わってしまいました。

私を心配した母は、

「あんた、大丈夫?

確かにお母さんは伴奏とかすることがあったらいいのにね、とは言ったけど、あんたがそんなに大変な思いしてまですることはないんだよ。

今からでも辞めるって言ってもいいんだよ。」

と言って心配してくれました、

でも、私は一度行ったことを変えて辞めてしまうのはかっこ悪いことだと思っていたし、ここで辞めてしまえば一生後悔すると思っていたし、そもそもこんな状況になることはある程度か覚悟していたことだったので、

「いや、私は辞めないよ」

と言いました。

たまにこの時のことを思い出話として母と話すことがありますが、今でも

「あの時のあんたの気迫にはびっくりしたよ😊」

と母は言います。

それだけ当時は私も必死でした。

そんな感じでオーディションが行われましたが、結局オーディションしたものの、オーディションで決めると言うのはやはり角が立つのか、結局オーディションでは決まらず、後日担任の先生と音楽の先生、私ともう一人の希望者の子の4人で集まり、話し合いをしました。

でも、私はここで折れたくなくて、その話し合いでも

「やります」

と言い続けたし、彼女も一切引く様子はなく、話し合いをしたところで決着はつきませんでした。

 

のちに先生たちの間で話し合ったことなのか、こう決まりました。

私が学級での発表で伴奏をする、彼女は3年生全体での合唱で伴奏をする、ということになりました。

合唱発表会は3年生だけでなく全校生徒の前で行われる行事だったので、学級だけでなく学年全体でも課題曲を歌うことになっていたようでした。

これで、結局私も彼女もピアノの伴奏ができることになり、私たちの対立?にも終りが来ました。

そして、実際に音楽の授業で私が伴奏をしてクラスメイト全員が歌うという練習が始まりました。

クラスメイト達は私が立候補した際に大多数がドン引きしていたのを感じていたし、伴奏が決まるまでクラスメイト達から悪口をたくさん言われていたので、もしかしたら私が伴奏を演奏してもクラスメイト達は静まり返り、誰も歌ってくれないのではないかととても心配していました。

でも、そんなことはなく、みんな私の伴奏に合わせて歌ってくれました。

それが本当にうれしくて、やっと私が伴奏をすることを認めてもらえたみたいで、ここまで折れずにいてよかったな、と思いました。

また、私が伴奏することが正式に決まる前は

「あいつ歌わないくせに伴奏やるとかふざけてるよね」

という悪口を言われていたのが聞こえていたので、私が伴奏する曲とは別の、クラスで曲を選んで歌う自由曲は、ちゃんと声を出して歌うようにしました。

私は緘黙でそれまで話すことはもちろん、人前で歌うこともできなかったのですが、伴奏をさせてもらうことになったのなら、ちゃんと歌うこともできないといけないと思い、必死に歌うようにしました。

そうすると、私の近くで歌っていた子が気づいてくれて、

「最近なおちゃんめっちゃちゃんと声出てるよ!」

と言ってくれて、周りの子たちも

「最近のなおちゃんいいね!」

とだんだん言ってくれるようになりました。

立候補した当初は敵だらけだったけれど、少しずつ認めてくれる子たちが増えていき、本当にうれしかったです。

 

こうして立候補から実際の練習で波乱の期間を終え、実際に本番を迎えましたが、体調が少し良くなった母も見に来てくれて、無事に演奏をすることができました。

もう本番のことは緊張しすぎてて覚えていませんが、本当に大変だったけど、やっと母に対して胸を張れることが学校でできたことが本当に嬉しかったし、最初はいじめに近いような悪口を言われていたけど、私が伴奏することを最終的には認めてもらえたことも嬉しかったです。

立候補したときには陰口を言われることや本番で弾けるかという不安でいっぱいで、でも母に見てもらう最初で最後のチャンスだったので死ぬ気で手を挙げましたが、勇気を振り絞って本当によかったと今でも思うし、手を挙げなかったらきっと今もずっと後悔していただろうな、と思います。

 

 

自閉症児とのキャンプの思い出①

 

これは大学生の時の話です。

私がかつて通っていた大学には、自閉症について理解し、自閉症の人たちと一緒に活動することで、自閉症の人々に療育を行うことを目的としたサークルがありました。

日曜日に月1回、自閉症児、自閉症の大人、その兄弟たちとお遊戯やレクリエーション、工作などを行って集団生活の基礎や手先や身体の使い方を教えたり、コミュニケーションの場を設けたり、休日を有意義に過ごす事で達成感を感じてもらったりする活動がありました。

 

活動に参加しようと決めた理由

私も大学に入ったら何らかのサークルに入ろうと思って学内のサークルの貼り紙を見たり、サークルの説明会に行き、その中でこの自閉症の人たちと関わるサークルを知って、正式に入部することはできませんでしたが、とりあえずその月1の活動に参加することにしました。

正式に入部が出来なかったのは、高校卒業まで家族や親戚以外の人間とまともに会話をしたことがなく、大学生になって無理やりしゃべり始めたことと、小学校から高校までの喋れない生活の中で同級生に気持ち悪がられてきた経験から、年の近い学生たちに対して強いトラウマがあったからです。

それでも、大学入学当初はまだ自分が話せなかったのは場面緘黙症という病気だったからだという事も知らず、そもそも場面緘黙症という言葉すら知らず、私自身も自分がしゃべれないのは自分の気持ちの問題だと思い込んでおり、大学生の間に生まれ変わりたいと思っていました。

生まれ変わるために興味のあるサークルに入りたい、という気持ちもあり、どうしても入部まではできませんでしたが、とりあえず月1の活動には行ってみて、自閉症のこと関わってみたいと思って参加を決めました。

また、何故その活動に興味を持ったのかについてですが、私は当時場面緘黙症という病名こそ知らなかったものの「周りのみんなは他人と普通に会話ができているのに私だけ話せないのは何か理由があるに違いない」と思っていたからです。

私はずっと通常学級で勉強してきましたが、「会話のできない私は本当はここにいるべきではなく、特別支援学級に行くべきなのではないか」と思う時がたくさんありました。

そして、サークルの活動に参加するまで自閉症が何なのかもちゃんとは理解していなくて、自閉という感じだけを見て「自分を閉ざしてしまう障害なのか。家族以外に自分を出すことが出来ない私を指しているな」と感じ、「もしかしたら私は自閉症なのではないか」と考えました。

努力して喋れない自分から生まれ変わりたいと思いつつ、自分が周りの子たちのように話せない理由を突き止めたいと思っており、この活動に参加することで何らかのヒントが得られるのではないかというのが正直な理由でした。

大学生が沢山集まる場所ということで、やっぱり凄まじく緊張していました。活動の前にまず学生だけ集まって、活動の流れや自閉症とは何なのか、自閉症の方との接し方などの説明を2年生以上の先輩が行いました。その説明の時間のテンションがとても高く、大学生特有のノリで進められており、それが私にとっては非常に心臓に悪かったというか、居心地のいいものではなかったのですが、先輩たちの説明は堅苦しさは全くなく、自閉症を全く知らない人でもわかりやすく障害の特徴や接し方を説明していて、活動中に気を付けることはとてもよく分かりました。

これを読んでくださっている人の中にも、自閉症は聞いたことがあるけどどのような障害なのか分からない方もいらっしゃると思うので、簡単に説明したいと思います。

自閉症って何?

自閉症とは主に対人関係が苦手・強いこだわりがあるという特徴があり、この特徴によって日常生活に支障が出ている状態を言います。

典型的な自閉症は言葉の発達に遅れがあり、言葉でのコミュニケーションが難しいです。

また、言葉の発達に遅れはないけれども、自閉症の特性がある場合を明日ベルガー症候群と言います。

私が参加したサークルにやってくる自閉症の方々はほとんど典型的な自閉症の人たちでした。

行動の特徴の例としては、

・視線が合わない

・表情が乏しい、または不自然

・オウム返しをする

・名前を呼んでも反応がない

・独り言が多い

・触られることを極端に嫌がる

などがあります。

集団行動に適応できなかったり、こだわりに反したことが起こるとパニックになってしまうことがあり、周囲からわがままなだけだとか、家族が甘やかした結果そうなってしまったという誤解をされることもあるようですがそんなことはなく、生まれつきの脳の機能的な障害で、本人や周囲のせいでは決してないです。

接し方の例ですが、例えばオウム返しがある人であれば、

「トイレに行く?」

と聞いても

「トイレに行く?」

とオウム返しが帰ってきて、トイレに行きたいか聞いているのに行きたいかどうかが分からないことがあります。

そのような時には

「トイレに行きたいときは右手、行きたくないときは左手をタッチしてね」

と言って両手をだすと、どちらかを選んで意思表示ができる時があります。

また、集団で行動している時にみんなで座ることがありますが、単に

「座って」

と言ってもどのようにして座っていいのかわからないことがあるので

「前を向いて座ろう」

と言ったり、何か物を置いてほしい時に

「そこに置いて」

と言ってもどこに置けばいいか分からないことがあるので

「机の上に置いてね」

と言ったり、指示をする際にはあいまいな言い方ではなく具体的に示すことが大切だったり、コミュニケーションを工夫することでスムーズに意思疎通が出来るようになります。

 

活動に参加してみて

説明を受けてみたものの、それまで実際に自閉症の人と接してみないとどんな障害なのかピンときませんでした。

説明のあとしばらく上級生たちが活動の準備をして、その後みんなで一緒に踊るお遊戯の練習や指遊びの練習を行いました。

お遊戯や指遊びなんて、小学校の低学年以来にやったので、とても懐かしい気持ちになりました。

で、肝心の自分が会話ができないのは自閉症か否かについてですが、接してみて私とは全く異なる症状の人が多かったので、私は自閉症ではないな、ということが分かりました。

でも、この活動にやりがいや楽しさを見出していたので、しばらくこの月1の活動に参加し、人と関わるきっかけにしたいと思うようになりました。

 

続く。。。

 

合唱発表会の伴奏に立候補した話①

 

これは私が中学校3年生の時の話です。

私は場面緘黙症で幼稚園生の時から高校卒業まで家族や親戚以外の人間と口頭で会話することができませんでした。

そのため、学校ではほとんど口がきけず、ひどい時には身体も動かすことができませんでした。

そんな私が中学校3年生の時の合唱発表会でピアノ伴奏に立候補し、実際に伴奏を行いました。

それが私にとっては鮮明に覚えている出来事なので、今回はその思い出を語りたいと思います。

 

なぜピアノ伴奏に立候補することにしたのか

 

私は学校でほとんど自分を表現することができなかった半面、家庭では自己主張激しいわがままなふるまいをしていました。

学校と家庭内であまりにも違うので、私自身も二重人格かなにかの病気なのではないかと思うレベルでした。

そんな中、学校行事等で母が学校に来ることが何回かありました。

その時、家とはうって変わってしゃべることができず、表情をこわばらせている私を見るたびに、母が本当にショックを受けていました。

その時の母の顔を見た私もショックを受けたし、母に自分があんな顔をさせてしまっているということが苦しくて仕方なかったです。

母がショックを受けている様子を見るのが嫌で、家に帰ってから、

「そんなにショック受けるんだったら学校行事とか来なくていいから!」

と泣きわめいてしまったこともありました。

子を持つ親としては、学校で自分の子供が生き生きと過ごしたり、一生懸命頑張る姿を見ることを大きな楽しみにするかと思いますが、私がこんな感じだったので、学校で母に頑張っている姿を見せて喜んでもらうことがあまりなかったです。

 

そんな感じで時は流れ、私が中3になった時でした。

私は当時ピアノを習っており、私がピアノを弾いているのを見ていた母が、「いつかあんたも合唱コンクールとかで伴奏とかしたらいいのにねぇ」と何気なく言いました。

その時は「そんな目立つこと私ができるわけないじゃん」と思って流したのですが、その数日後、学校で休み時間だったか、何故か音楽室のピアノを弾く機会があり、それを見ていた音楽の先生が、

「なおさん、もしよかったらこれ弾いてみない?」

と、合唱発表会の課題曲の楽譜を私に渡してきました。

(私に渡したってなんかダジャレ・・・( ^ω^)・・・)

 

母が私に伴奏やってみたらいいのにと言ったタイミングと楽譜をもらったタイミングが見事にあっており、また、学校行事に親が来ることは高校生になると大幅に少なくなると思い、母がぽろっと言った伴奏の演奏を叶えるのは今回が最初で最後のチャンスではないかと思うようになりました。

それでも、私は伴奏したいということを表明する勇気も、実際にみんなの前でピアノを弾く勇気もなかなか出てこず、しばらくそれから何日か経過していました。

そんな時、私が伴奏に立候補することを決心する出来事が起こりました。

 

それは、母が膵臓を悪くして、しばらく入院することになったことでした。

私は、病気になった母を元気づけたいと思いましたが、当時は絶賛反抗期中で素直な子供ではなかったので、口ではそんなことも言えず、でも何とかして元気になってほしいと思っていました。

そこで伴奏のことを考え、もし、私が今回伴奏をして、頑張っている姿を母に見せることができたなら、もしかしたら母は元気になってくれるかもしれないと思ったのです。

 

実際に立候補してみた

私のクラスにはもう一人伴奏をしたい子がいて、その子のことも考えるとなかなか私もやりたいなどと言えなかったのですが、正式にピアノの伴奏者を学級活動で決める日が来て、私は意を決して、震える手を挙げ、伴奏に立候補しました。

普段意思表示をすることのなかった私が突然ピアノの伴奏がしたいと表明したことで、案の定その学級活動の空気は何とも言えない、変な空気になってしまいました。

「あ、なおさんもやりたいんだね・・・」

と言った感じで、クラス内はドン引きした空気で静かになってしまったのを鮮明に覚えています。

もう一人伴奏がしたいと言っていた子に至っては、もう自分がやるつもりでいたのが、急に私もやりたいと言い出したことに猛烈な怒りを覚えた様子で、彼女が一気に不機嫌になったのが分かりました。

でも、私は彼女を邪魔したくて立候補したわけではなく、私には私なりの立候補した理由がちゃんとあったので、そこで折れるわけにはいかず、希望者が二人いると言うことで学級活動の時間が終わりました。

 

何とか手を挙げて立候補したのはいいものの、翌日からの学校生活は地獄でした。

まず、もう一人の希望者の女の子は私への当たりがとても強くなり、しょっちゅう睨まれるようになりました。

また、その子は賑やかで派手なグループの1人だったので、その賑やかグループの人たちからも聞こえるように悪口を言われることがとても多くなりました。

そのグループを中心に学級は回っている、と言うような状況もあり、大多数の人が私ではなくもう一人の子に伴奏をしてほしいと思っている空気が強く感じられました。

私のような、普段喋らない生徒が急にピアノ伴奏に立候補するとこうなるだろうな、ということは立候補する前から予想はついていて、だからこそ手を挙げるときに手が震えたのですが、実際に予想通りになってしまうと精神的にとても辛かったです。

酷い日には、何を言われたかは忘れてしまいましたが、何かとても傷つくことを言われて教室に戻れず、カウンセラー室で1人で号泣するような事もありました。

そんな中、どうやって伴奏者を決めるのかという話が教師たちの間で交わされたのでしょう。

私ともう一人の希望者の子二人でオーディションを行い、上手な方が伴奏をするということになりました。

 

当然、圧倒的にもう一人の子を応援する子が多くて、完全アウェーな状況でしたが、入院している母のことを考え、母をちゃんと学校に呼べるのはこれが最初で最後の機会で、どれだけ悪口を言われても1度やりたいと表明したからには自分から辞めるなんて格好悪いことは言えないと思い、オーディションを受けることにしました。

 

 

続く

 

 

メガネ屋さんに1人で行けたよ👓

今週のお題「最近あったちょっといいこと」

 

視力が落ちてしまい、今使っている眼鏡ではだんだん見えにくくなっていました。

今使っている眼鏡の度数は、5年くらい前の視力検査で作った度数の眼鏡だったため、5年も経つと視力も変わっているだろうなと思い、合わない眼鏡は体にも悪いだろうと思って、新しい眼鏡が欲しいと思うようになりました。

でも、新しい眼鏡を作るにしても、眼鏡は結構高額なお買い物だし、数年間使うものなので絶対にお気に入りのデザインのものでないと気が済まないので、とりあえず可愛い眼鏡をネットで探してみることにしました。

通常のデザインの眼鏡にも可愛いものがたくさんありますが、私が特に注目していたのがコラボ眼鏡でした。

現在使用している眼鏡がバーバパパの眼鏡なのですが、さりげなくイラストが描かれており、とてもお気に入りでした。

なので、何かキャラクターとコラボした眼鏡だとテンション上がるかなと思って今何かコラボ眼鏡あるかな?と探してみました。

すると、Zoffがディズニーキャラクターとのコラボの眼鏡を販売していることが分かりました。

www.zoff.co.jp

 

これが本当に可愛い眼鏡ばっかりで、眼鏡を買うならこの中のどれかにしよう!と思い、詳しく見てみると、こんな眼鏡を見つけました。

www.zoff.co.jp

ミッキーとミニーをモチーフにした眼鏡です。

特に、私の目を引いたのがこれ。

 

ミニーちゃん仕様の眼鏡でした。

なんとこの眼鏡、ミニーちゃんのリボンがついているのです🎀♡

あまりにも可愛すぎるので、実際にかけてみたいと思い、Zoffの店舗に出かけました。

すると、お目当ての眼鏡があったので、試しにかけてみました。

まぁ、似合わないこともないかな?とチェックしていたら、

「お客様、ご購入の際はお声掛けくださいね😊」

と店員さんに笑顔で話しかけられました。

この時はただただあの可愛い眼鏡を自分が掛けたらどんな感じか知りたかっただけで、買うつもりできたわけではないので、「はい…。」と返事をしたのちさっさとお店から逃げるように出てきてしまいました。

 

あぁ、そうだ。

眼鏡を買い替えるということは店員さんと話すということだ。

「このフレームでお願いします」などと言わなければならないということだ。

店員さんに見られながら視力検査をするということなんだ。

めっちゃハードル高いやんけ。

 

ということを思い出し、その後1ヶ月程度眼鏡を買いに行く勇気が出ず、見づらい眼鏡のまま過ごしていました。

でも、せっかく気に入ったフレームを見つけたのに、こうしてうだうだしている間にコラボが終わって買えなくなったらそれはショックじゃないか。と思い至りました。

有言実行をするべく、母に

「今日私は眼鏡屋さんに行ってくるから。」

と言って出かけました。

母に言うことで、「あれ?あんた今日眼鏡買いに行くんじゃなかったの?」などと言われることがないように、無理やり眼鏡屋さんに行かざるを得ないような雰囲気を作っておきました。

 

意を決してお店に入り、お目当てのフレームを手に取り、受付カウンターへ行きました。

「・・・これで作っていただきたいのですが」

言えた!言えたぞ!

 

すると、「では、Zoffの会員証はお持ちでしょうか?」

 

「え、えーと、ないです…。」

 

店員さんに説明されたとおりに、ZoffのLINEを友達登録したのち、会員登録も行いました。

会員登録しながらしばらく待っていると、

「本日はどのような眼鏡をお作りしましょうか😊」

と聞かれたので

「はい、あの、視力が変わったと思うので、検査しなおして合ったレンズで眼鏡を作りたいです。」

と答えました。

すると、しばらく待つように言われ待っていると男性の店員さんがやってきました。

さっきまで女性の店員さんが応対してくれていたので、てっきりその女性が測定をしてくれるのかと思っていたら、男性の店員さんでした。

 

別に普段女性も男性も話しづらさに差は感じていないつもりだったけど、

「え、男性かΣ(゚Д゚)」

とちょっと身構えてしまいました。

でも、男性の店員さんであろうが、女性の店員さんであろうが、測定する内容や、測定の中で話すことがは同じだと思いなおし、測定を行いました。

測定中は口頭で答えていきましたが、やっぱり緊張したというか、変な汗が出てきて落ち着きませんでした。

視力検査で「え、こいつ目やばくね!?」って引くような店員さんはまずいないと分かっていましたが、やっぱり謎の不安感がありました。

 

案の定、5年前と比較して視力が大幅に悪くなっており、片目には乱視もあるためレンズの在庫がなく、お取り寄せすることになって約2週間後に出来上がるとのことでした。

また、度数が高くなってしまい、今使っている眼鏡のレンズよりも分厚くなって、輪郭に違和感が出たり、目が小さく見えるようになってしまう恐れがあったため、追加料金を払って薄いレンズにしました。

輪郭とか目の大きさがおかしくて眼鏡をかけたくないといったことになると、せっかくお気に入りのデザインの眼鏡を買うのにもったいないと思ったので、追加料金は安くはなかったけど薄型をお願いしました。

 

そんなこんなで眼鏡屋さんでやることは終わり、無事に購入手続きを終わらせることができました。

よくよく考えてみれば、前回まで眼鏡を購入するときには必ず母の付き添いがないといけなかったのですが、勇気を振り絞るのに何日もかかったとはいえ、1人で行くことができて無事に買うことができたのは結構大きな進歩と言えると思います。

 

眼鏡の受取日かとても楽しみです😊♡

 

↓私が買った眼鏡


 

カラオケバーデビューした話

私は、対面や口頭で他人と会話することがうまくできなくて、これまでの人生で休みの日などにに直接会うような友達が全くいません。

もう30歳手前で、若い時期もそろそろ終わってしまう年齢になってもこのような感じでいることが本当に最近嫌で嫌で仕方ありません。

普段一人を満喫して「一人は楽で楽しいわ~♪」と思いながら生活してはいるものの、せっかく生まれてきたのに人と関わらずにいつも一人で過ごすのはすごくもったいないことをしてしまっているのではないかと思っていました。

 

そこで、なんとかして人との接点を持ちたいと考えたときに、以前私が参加していたアニソンカラオケのオフ会を思い出しました。

そこでもうまく話せていたわけではなかったのですが、そのオフ会が私にとっては他人とプライベートで関わる貴重な機会でした。

でも、現在コロナ禍でそのオフ会も約2年近く開かれず、オフ会の人たちともほとんど会わない生活になっていました。

このままでは、人と会わな過ぎて心が干からびると思ったときに、オフ会の人たちがTwitterでとあるカラオケバーに集まっていたことを思い出しました。

そのバーに行けば、オフ会で一緒に歌ったことのある人達に会えたり、その人達と仲良くしている他のお客さんとお知り合いになれたりするかもしれない。

まだコロナが終息したわけではないけれど、コロナの終息を待っていても私はずっと一人ぼっちのままだと思うともう耐えられないと思った私は、そのカラオケバーに行ってみる決断をしたのでした。

 

お店の場所や開店時間を前もってしっかり調べておきました。

コロナ禍だし、私は実家暮らしで遅くに帰ると怒られてしまうので、顔を見せて短時間でさっさと帰宅する予定で、

「楽しくなかったり、浮きまくったりしたら帰ればいいだけ。だから怖くないぞ。」

と思いながら家を出ました。

 

お店の最寄り駅で降りて、しばらく緊張を紛らわせるために何分間かうろうろしてから意を決してお店に入ってみました。

 

すると、オフ会で会ったことがある店長さんやお店のお手伝いさんがいて、会ったことのないお客さんもいました。

「お好きな席にどうぞ。」

と言われたので、一番奥のカウンター席に座りると、お手伝いの方がメニュー表と料金の説明をしてくれて、とりあえずカシオレを頼んでしばらくお店を見渡しながら待ちました。

お店の中はアニソンカラオケバーということで様々なアニメのポスターやフィギュアなどがたくさん飾ってありました。

やがてカシオレが来ると、持ってきてくれたお手伝いの人が以前オフ会で会ったことがある人だったことに気づきました。

「あ!なおさんですよね!」

と向こうも思い出してくれ、久しぶりですね~!と言いあい、そこでちょっと緊張もほぐれました。

 

その後、他のお客さんがだんだんとカラオケの曲を入れ始めたので、私もアニソンを入れて歌ったりなどして少しずつ場に慣れていきました。

そうしているうちに、お客さんとしてオフ会のメンバーの人がやってきて、その人とは以前グループで遊びに行ったことがあり、その人ともお互い久しぶりだったねと話しました。

以前遊びに行った話はこちら↓

 

naotora57.hatenablog.jp

 

そこでちょこちょこ話をしていると

「なおちゃんって、コミュ障って言ってるけど受け答えはしっかりしてるよね」

と言ってもらえました。

自分から話しかけることはまだ全然できませんが、話しかけられて答える事はもしかしたら自分が思っている以上にできるようになっているのかもしれないな、と嬉しい気持ちになりました。

 

緊張しながらお店に行ったけど、実際に行ってみると全然怖いところじゃなかったし、楽しくてもっといたかったのですが、母親から早く帰ってくるようにLINEが来たので帰ることにしました。

それから1週間後、オフ会の人たちと久しぶりに一緒に遊びに行くこともできました。

 

気が向いたときに通うようにすれば、人と話す機会も増えて良いのではないかと思いました。

まだコロナのこともあってそこまで頻繁にはいけませんが、たまに顔を出すようにしたいなぁと思っています。

 

 

私がサークルでたまに歌うヒプノシスマイク↓

 

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A型事業所利用の流れ②

前回

naotora57.hatenablog.jp

の続き

 

認定調査

 

A型事業所の見学をした際、利用までに保健所に行って認定調査を受ける必要があると説明されました。

A型事業所で働くと言っても、事業所は就労だけでなく福祉の提供の場でもある為、福祉を受ける対象であるという証明である受給者証を取得する必要があります。

見学に行った足で保健所に行き、認定調査を受けたい旨を話したところスケジュールが埋まっている為約1か月後まで待つように言われました。

私と似たような状況の方が他にもたくさんいるんだなぁと感じました。

認定調査では、日々の過ごし方や病状、生活の中でどんなことに困っているかなど、調査員の方に話しました。

やっぱり市役所に行くのはとても緊張するし、認定調査は1時間ほど調査員の方と話すということで、認定調査の前日の夜はなかなか寝付けなかったけど、調査員の方は優し気な女性の方で、質問も別に怖いことを聞かれるわけではなかったので、そんなに心配する必要はありませんでした。

 

A型事業所から電話が来た

ここまで順調に準備を進めていましたが、A型事業所は病気や障害で働くことが難しい人に就労の場を提供する福祉サービスであるため、放課後等デイサービスでのアルバイトはやめなければならないという条件がありました。

子供達を支援するにあたって自分のできることに限界を感じてはいたものの、勉強を数年間にわたって教えてきた子もいて、その子たちが卒業するまで見届けたかった気持ちもあり、なかなかやめる決心がつかず、認定調査まで行ったにもかかわらずずるずる時が過ぎて数ヶ月が経過していました。

そうしていた時、見学に行ったA型事業所から電話が来て、事業所で働きませんかと言われました。

それまで決断を渋っていたけど、放課後等デイサービスでのアルバイトは私の病気の調子が悪いときには話すことが難しくなって休まざるを得ず、収入はとても少なくて困っていました。なので黙々とできる仕事ならちょっと調子が悪くても作業はできるためアルバイトよりも多くの時間働くことができるし、それまでパソコンはほとんどできず

、事業所でパソコンを学んで将来の選択肢を広げたいとも思っていたので、「では、事業所に通わせていただきます」と返事をし、結局放課後等デイサービスは辞めることになりました。

計画表を作ってもらう

A型事業所に通うためにはサービス等利用計画書も作る必要がありました。

この計画書は相談支援事業所にお願いして作ってもらうことになります。

相談支援事業所に依頼するためにはまた電話をする必要がありましたが、このときは「サービス等利用計画書をお願いしたいのですが」ということが大体決まっていたので何とか自分で電話をすることができました。

この計画書を作るためには実際に相談支援事業所に行って、認定調査の時と似たような感じの話をしました。

この相談支援事業所では事業所に通うにあたってのモニタリングも行っており、通っている間に困りごとはないか、何か変わったことはないかなどを話す機会が設けられているため、今でも定期的に話をしに行く機会があります。

事業所体験と放課後等デイサービスとの別れ

こうして事業所に行くことが決まり、放課後等デイサービスの代表の先生に辞めると伝えたのですが、この辞める話をするまでにまた数日かかりました。

仕事を辞める話をするのはなかなか切り出しにくくて難しいですよね。

世の中に退職代行があるのもうなずけるなぁと思いながら、何とか勇気を出してA型事業所に通いたいので仕事を辞めたいという意思を伝えました。

代表の先生は私の病気について知っていたので、すんなり話は進みました。受給者証ができるまでの期間は放課後等デイサービスで働いて、受給者証ができるときに退職という形になりました。

そして実際に事業所に入社する前に「思っていたのと違う」ということがないように体験に2日間行きました。

実際に事業所に行って2日間仕事をしてみるということでとても緊張していましたが、事業所のスタッフの方が丁寧に接してくれたので人への不安は減りました。

体験ではデータ入力を行いました。入力はコツコツと静かにできる仕事だったため、問題なくできました。ただ、ちょっと「終わりました」の報告をするときが緊張して大変でしたが、概ね問題なく2日間の体験は終わっていきました。

体験が終わった翌週にハローワークに行って紹介状を書いてもらい、A型事業所の面接も行いました。

見学や体験をしているし、この時点ではもうそこまで緊張や不安もなく話をすることができました。選考の為と言うよりは、仕事のスケジュールや体調、配慮が必要な事などの確認のような感じで面接は行われました。

そうしている間に受給者証ができ、放課後等デイサービスをいよいよ退職することになりました。

最後の日は子供達が書いてくれたメッセージカードをもらいましたが、みんなが私に一生懸命書いてくれたのが伝わって心が温かくなりました。4年半ほど働いたのでやっぱり名残惜しく、その場では泣かなかったけれどデイサービスを出てから一人道を泣きながら歩きました。

メッセージカードは一生の宝物になりました。

 

事業所で働いて半年以上たった現在

現在は事業所への通所を初めて半年以上が経過しています。

この半年間でタッチタイピングができるようになったり、オフィスソフトの使い方をおおむね理解できるようになったり、illustratorの使い方を学んだり、ライティングの仕事をやってみたり幅広くパソコンのスキルをつけている段階です。

パソコンは本当に様々なことができるので、身に着けておくと今後に役立つことがたくさんあるなぁと思っています。

まだまだフルタイムで働くことには不安があるし、もっとパソコンスキルを身に着けたいと思っているのでしばらくはこの事業所で働くことになるかと思います。

A型事業所は私にとってはとても快適な環境なので、今後も快適だと思える環境を少しずつ増やしていき、うつや不安障害も少しずつ良くしながらの生活をしていきたいと思っています。