好きになるとき
私は場面緘黙症で、子供のときから人と会話がなかなかできなくて、あまり対面での付き合いで他人と仲良くなることができません。
それは、表面上は普通に話せるようになった今も変わらず、根本的に他人と話すことに対しては不安と恐怖があって、そこがまだまだ消えてくれなくて仲良くなるまでに至らないことが多いです。
そんな生活をしているので、彼氏ができるなんて夢のまた夢な話です。
でも、それなりに片思いだけは経験してきています。
全部実ることなく消えていきましたけどね(*'ω'*)
今回はいち場面緘黙症当事者の私がどんな時に男性を好きになることがあったかというお話をしてみようかと思います。
たくさん話しかけてくれたとき
まずは、たくさん話しかけてくれた人を好きになったことがありますね。
特に、学校に通っていた年齢の時はクラスで全くと言っていいほど話ができなかったため、話しかけられても私は答える事はできませんでした。
でも、反応できなかったとしても、
「え、この人私が反応できないってわかってるのにそんなに話しかけてくれるって何!?めっちゃ優しくない?やば!!!」
みたいな感じで心の中ではものすごくテンションが上がっていたことがありました。
そんな感じで話しかけられたことでテンションが上がっていくのが積み重なった結果、話しかけてくれていた男の子のことが気づいたら大好きになっていたことがありました。
私が話せないから、ほとんどの人は私を空気のように扱うか、気味悪がって避けるかが多かったので、普通に話しかけてくれるような子は本当に貴重で、そんな貴重な子を好きになるのは結構自然な事なのではないかと思っています。
優しくしてくれたとき
やっぱり、優しくしてくれる子もとても魅力的ですよね。
私は口がきけなかったので、忘れ物をしても隣の席の子に
「教科書見せて」
とか、
「消しゴム貸して」
とか、頼むことができませんでした。
なので、絶対に忘れ物をしないように細心の注意を払っていましたが、やはり人間だれしもミスはあります。
気を付けていても忘れ物をしてしまうことがありました。
そんな時もやっぱり自分から他の子に貸してもらうように頼むことができず、授業中に途方に暮れ、早くこの時間が終わってくれることをひたすら願うだけの時間を過ごすことが多かったです。
でも、まれに私が何も言えなくても、私の机の上に教科書がないことに気づいてくれて
「教科書は?」
と尋ねてくれて、私が首を横に振ると見せてくれた男の子や、算数の時間に分度器や三角定規を忘れてしまい、問題が解けなくて困っていたらすっと横から貸してくれた男の子がいました。
私が普段話すことができないのは普段の様子からみんなが知っていたことだけど、こうやって私が困っていることを察して助けてくれる子の優しさが私はとても嬉しかったし、そんな子はやっぱり好きになってしまっていました。
理解しようとしてくれたとき
また、私のことを理解しようとしてくれた時も好きになってしまってました。
「なんで喋らないの?」
という言葉は、緘黙の経験がある方にとってはトラウマな一言だと思います。
何でと言われても自分でもわからないし、説明できないし、何ならなんで喋れないのか私が一番知りたいわよ、と思っていました。
なので、この質問は基本的には私も大嫌いな質問でしたが、「なんで喋らないの?」って悪意で聞いてきているのかそれとも自分に興味を持ってくれているから聞いてきているのかは聞かれた側の私には大体わかっていました。
「なんで喋らないの?」と聞かれてもやっぱり答えられなかったけど、それ以外のこともたくさん話しかけてくれて、たくさんかかわろうとしてくれる子は男女問わずありがたい存在で、今でも覚えています。
男の子であれば「わかろうとしてくれてる子なんだ」と思って好きになりかけていたことがありました。
また、大人になってから「実は私場面緘黙症だったんです」という話をした後、「理解したいです」と言ってもらえたことがあって、その人のこともあっさり好きになったし、とにかく病気のことも含めて私のことをわかろうとしてくれようとしてもらえると、好きになってしまうことが多かったです。
以上、これまで場面緘黙症を抱えて生きてきた私がどんな人を好きになってきたかのお話をしてみました。
やっぱり、緘黙は私の人生の大きな要素なので、そこを理解しようとしてもらえたり、緘黙を踏まえて優しくされると私は弱いんだなぁと言う感じですね(〃▽〃)♡
片思いばっかりですが、場面緘黙症で話せなく、傷つくことや大変なことがたくさんあるからこそ、そこに関して優しくしてもらえた時にそのありがたさをとても強く感じます。
恋愛対象としてだけでなく、全く話せなかった時代に優しくしてくれた人たちのことは今でも覚えているので、態度には全く出せないけどとてもうれしい気持ちになっているんだよ、ということが少しでも伝わればいいなぁと思っています。