なおの場面緘黙症日記

外で喋りたくてもうまく喋れない私の日記。YouTube「場面緘黙症なおちゃんねる」→ https://m.youtube.com/channel/UCFu5NR7KQwj8G0q6uzjNUVA

例の児童クラブのことで思ったこと

 今から約一か月前のニュースで、ちょっと思ったことがあったので書こうと思います。

先月4月の初めにある動画がSNSで拡散されました。

その動画は、児童クラブでの様子を写したもので、大まかな内容は、自己紹介でうまく話すことができない子に対し、職員が

「大きい声で言え。」

「言うの、言わないの、どっち!?」

などと高圧的な口調で言い放ち、

「秒数が進んでいくよ、10、9、8...」

カウントダウンまで始めてしまうというものでした。

その子は初めての場で緊張してうまくみんなの前で話すことができず、その上職員にこのような言葉を言われて、本当につらかっただろうな、と思いました。

 このニュースがきっかけで、場面緘黙症でほとんど学校で話すことができなかった小学校から高校時代のことをいくつか思い出しました。

 

 

私が昔学校に通っていたころにも、このような自己紹介をする機会があり、みんなの前に立って話をしなければならない状況がたくさんありました。

自己紹介のほかにも日直で朝の会の進行をみんなの前で行ったり、授業で指名されるなどして発表をしたり、歴代の担任の先生たちの中には朝の会や帰りの会で日直がみんなの前で一分間スピーチをさせる先生もいたりして、学校に行っているとみんなの前で話さなければならない機会はたくさんやってきます。

私にとってみんなの前で話すことは、学校が爆発すればいいのに💣と心の底から思う程度には苦痛でした;つД`)

そして、実際にみんなの前に出てみても、やっぱり話ができなくて、会や授業が私が話せないせいで何分も止まってしまうことが何回もありました。

自分のせいでみんなの時間が止まってしまっていることは理解しているのですが、できないものはやっぱりできませんでしたね。

みんなの前で話せなかった当時、私の頭を支配していたのはみんなの前で話すことに対する不安や緊張でした。

不安や緊張にもいろいろあって、みんなに自分の声を聞かれることが苦痛であったり、みんなに自分の考えていることを知られてしまうことに対しての強い羞恥心であったり、みんなが自分を見ている視線に対する恐怖だったりありました。

そんな不安でいっぱいな状況では、何を言うべきかを考える余裕などありませんし、言うことが浮かんでいたとしても口に出すことが難しかったです。

私に限らず、こんな気持ちでうまくみんなの前で話せなくなる子はきっとたくさんいるのではないかな、と思います。

 

考えられる悪影響

指導する立場の大人がこのような高圧的な態度で児童に接することでよくない影響を及ぼすことも考えられますね。

まず、先ほども述べたように話せなくなる大きな理由として不安や緊張があるのですが、うまく話せない子はみんなの前に出ている時点で頭は不安でパニック寸前になっている場合もあるかと思います。

パニック寸前な時に何か話せと言われても、そんなの無理だ! と感じるのは当たり前の反応ですよね。

そんな気持ちの時に責められるのは、本当に傷つくと思います。

しかも、みんなが見ている前で責められるのは、みんなの前で

「こいつはだめだ」

と言われているような気がして自信の喪失にもつながる恐れがありますね。

みんなの前で叱責されるのは大人でも傷つくので、子どもであればなおさらその時の嫌な気持ちが頭から何年も離れられなくて、何年も人前で自分を表現することができない場合も考えられます。

それこそ、少し初めての場所に緊張するけど普通に話すことができる、という子でも場面緘黙症になってしまう恐れもあると私は思います。

また、先生が話が上手にできない子に対して必要以上に高圧的に叱責することで他の子が

「先生がああ言ってるんだから、うまく話せない子は自分も攻撃していいんだ」と思って、いじめに発展する可能性ももしかしたらあるかもしれないし、「あんな風に先生に責められたくない」と窮屈な気持ちで過ごさなければならない子もきっと出てくるし、その子だけでなくその叱責を聞いている周囲の子にもいい影響は与えないんじゃないかな、と私は思います。

子ども一人一人、性格も得意なことも苦手なことも違います。

私のように学校生活全体的に話せない子もいれば、友達とは楽しく話していてもみんなの前だと話せなくなる子もいて、前に出て話すのが苦手な子の中にもさらにいろんなパターンがあります。

厳しい言い方をしたほうがやる気も出て伸びる子もいますが、逆に自分の本当の力うぃなかなか発揮できなくなってしまう子もいます。

教育するうえでは、その子に会った指導なのか、必要以上に攻撃的な指導になっていないかをよく考えるのが必要不可欠なんじゃないかな、と思っています。

 

今回の炎上で感じたこと

この児童クラブの高圧的な様子はSNSで拡散され、たくさんの批判の声が上がって炎上状態になっていたのですが、それについても感じたことがあります。

もし、これが私が子供の時代に起こったことだったら、ここまで話題にならなかっただろうし、炎上もしなかったのではないかと思います。

私が学校に通っていたころは、当然のように先生から

「聞こえない。もっと大きな声で。」

と言われていたし、私が話すまで授業を進めない先生もいたし、おまけに

「しゃべらない生徒を私は好まない」

と公言する先生まで存在しており、みんなの前で話すことが上手にできない子が悪いという扱いで、話せなくなってしまう子の心理状態を理解しようとしたり、寄り添ってくれる先生のほうが珍しかったのではないかと記憶しています。

そんな私の子供時代と比べて、今は子どもの苦手なことに対する気持ちを尊重する流れになってきているんだなぁ、と今回の炎上を見て感じました。

苦手なことでも、周りからのプレッシャーで無理やりできるようになろうとしたって、苦手意識が強まるだけで、最悪トラウマになってしまうこともありますが、周りの人が苦手な気持ちを分かってくれる状況であれば、安心して苦手なことにもチャレンジできる可能性も高まりますよね。

私は学校でずっと強いプレッシャーを感じ続けた結果、今でも人と話すのに苦労しているので、苦手なことにプレッシャーを与えて無理やりさせることはあまりいいことではないような気がしています。

厳しい言い方の方が伸びる子もいれば、それが逆効果になる子もいるので、高圧的な指導はよく考えてから行う必要があるのではないかな、と私は思っています。

 

母の日2021年

昨日は母の日でしたね。

皆さんの中にも母の日にお母さんに感謝の気持ちを伝えたり、何かプレゼントをした方もいらっしゃると思います(⌒∇⌒)

今日は、私の母の日について書いていこうと思います。

 

私は、母の日は昨年までほとんど何もできていませんでした。

というのも、去年まで私は働くことが十分にできていなくて、母にプレゼントなどするお金もないという状態でした。

それならば感謝の気持ちを伝えたり、よくCMとかで見る、

「母の日はカレーを作ろう」

みたいな感じで、何か料理をしたりすればよかったのですが、私は素直な娘ではない上に、去年までは春はうつ病の症状も強くなる時期で、料理すらも作る元気や意欲もわいてこなくて、母の日はずっとスルーしてきてしまっていました。

というか、母に何か恩返しらしきことをするどころか、まともに働くこともできず、家事もちゃんとできないっていう自分の状況に自分自身いら立っており、その苛立ちを自分の中でとどめていられずに、母に対していら立った態度で接してしまう年もあり、母の日は私の母にとってはむしろ嫌な気持ちになることが多かったのではないかとすら思っています。

20代の半ばにもなってこんな状態なのが本当に申し訳なくて、今まで病気のことなどで他の同年代の子たちよりも子育てで苦労したところがたくさんあっただろうに、そんだけ苦労して育てた娘がこのありさまでは、母は本当に救われないのではないか。もっとちゃんとした娘だったなら、母も今はもっと楽に生活していたはずなのに。本当に自分は何をやっているのか。

自責の念に苛まれはするものの、結局何をすることもできなかったので、母の日はあまりいい思い出はありませんでした。

 

でも、今年は例年とは少し違った母の日になりました。

前回のブログにも書きましたが、

naotora57.hatenablog.jp

ここ何か月かは今までよりも長い時間働くことができるようになっており、中古とはいえパソコンを買う余裕もできています。

ということは、当然、母に何かをプレゼントする余裕もあるというわけです。

 

そこで、何をプレゼントしたら喜んでくれるかな、と考えてみたところ、

「お母さん、マッサージ行ったことないんだよね。行ってみたいなぁ。」

と話していたのを思い出しました。

毎日、家計を支えるために頑張って働いてくれているから、マッサージに行って疲れを癒してくれたらいいかな、と思いつきました。

他にも、財布とかアクセサリーとか身に着けたり使ったりするものもいいな、と思ったのですが、私はあまりセンスがなく、母が喜ぶようなものを選ぶ自信がなかったので、マッサージのほうが喜んでくれるかな、と思ってマッサージ代を渡すことにしました。

 

「これでマッサージとか行ってきて。」

と言い、お金を渡すと、

「え、いいの!?こんなうれしいことがあるんだね。ありがとう。」

と、母は目を潤ませて喜んでくれました。

なんだか、私が予想していたよりもとても喜んでくれて、大したプレゼントをしたわけじゃないけど、私もうれしい気持ちになりました。

 

これまで、たくさん心配や苦労をかけてきたし、その中で数えきれないくらい衝突もしてきたけど、母が私のことを大切に思ってくれているのはすごく伝わっていたし、私が外でうまく話ができなくて家でイライラが抑えられなくてめちゃくちゃな態度をとることも少なくなかったのに、見放すことなく今まで育ててくれたことは本当に感謝しています。

マッサージ代ぐらいでは全く足りないし、一日でも早く自分の面倒は自分で見れるようになって、母が働かなくてもいいようにしたいと思っています。

それがいつになるかが私の体調次第なところもあって、そこがまた申し訳なくて仕方がないですが、母が今回すごく喜んでくれたことで、私ももっと頑張ろう、と心から思うことができたので、これからもできることを増やして自立していけるように、前に進んでいきたいと思います。

 

...というか、母の日にマッサージ代渡せたのは良いけど、今の世間の状況的にマッサージは行くの難しいかな( ´・ω・`)と今さら思うのであった。

私の詰めが甘さ( ´・ω・`)

ま、マッサージじゃなくても母の好きなことに使って貰えたらいっか!

 

 

今のおうち時間の2つの楽しみ🏠

今週のお題「おうち時間2021」
 
皆さん、お久しぶりです。
はてなブログ、久しぶりに書こうと思ったらなんと、前回の投稿が

naotora57.hatenablog.jp


 
きょ、去年の11月とは...。
このブログを始めた当初は高頻度で更新しようと意気込んでいましたが、この体たらく( ;´Д`)
ブログは普段あまり話せない私の自分を表現する手段だから、これからも続けていきたいと思ってはいるんです。
で、これからはまた定期的にブログを上げることがたぶんできる気がしています。
その理由はこれ!
 

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なんと、自宅で自分で使うパソコンを購入しました!
これを使うのがおうち時間の楽しみの一つです(⋈◍>◡<◍)。✧♡
中古で安くで買ったのですが、最新機種はまだ私にはよくわからないし、ある程度の機能があって、とにかく見た目がかわいいパソコンならいいや(*´ω`)と思ってポチりました。
私、これまでブログもYoutubeの動画の編集もスマホで行っていました。
スマホでもアプリを使ってそれなりに作業できていましたが、今パソコンでブログを書いてみて、やっぱりパソコンで文章を書くのはスマホで文章を書くより100倍快適で感動しています°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
まだ動画の編集はこのパソコンではやってないのですが、編集技術も身に着けられるに勉強するもの楽しみです。
このパソコンを購入できたのは、2か月ほど前に実は仕事を変えて、以前よりたくさんの時間働くことができるようになったからです。
今の仕事でもパソコンを使っているので、パソコンのスキルアップに向けて家でもパソコンを使おうかな、と思ったのと、パソコンスキルが身につけば仕事の幅もかなり広がって、場面緘黙症の後遺症でいまだ話すことができない私の人生の選択肢も増えるかな、と思って購入を決めました。
なので、近いうちに仕事を変えた経緯などもブログに書きたいな、と思っているのでそちらも良かったらお付き合いくださいね★
 
もう一つのおうち時間の楽しみは、お風呂の時間です🛀
私は以前、うつ病の症状でお風呂に入ることが嫌で仕方なかった時期がありました。

naotora57.hatenablog.jp


↑こんなこと言ってた時期もありますし、実際に去年のクリスマス前あたりまでは確かお風呂入るもの一苦労だった気がします。
でも、母が年末ぐらいから入浴剤を購入するようになり、入浴剤の入ったお風呂に入るようになったことや、年末の掃除でお風呂場をきれいにしたことがきっかけで、
「あぁ、お風呂ってこんなに気持ちいいものだったんだ。」
と思うようになり、それからお風呂に入ることが苦痛から楽しみに変わっていきました。
これ、私にとってはとても大きな進歩です。

今ではコロコロマッサージ器でマッサージしながら湯船につかるのが習慣になっています。

入浴剤は私が買ってきたものを使うこともあれば、母が買ってきたものを使うことがありますが、私が一番風呂の時は私が買った入浴剤、そうじゃないときは大体母が買ってきた入浴剤を使用しています。

私は大体こんな感じで

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甘い香りが好きでいろいろな甘い香りを楽しみたいので、一回で使い切るタイプの好きな香りのものをいろいろ試しています。

一番風呂の時は疲れをとったり癒されたりしたい気分なことが多いので、自分の好きな香りに包まれるひと時は本当に至福の極みですね👼

あと、頂き物のかわいいバスボムもあるのですが、これは見た目がかわいすぎるのと、なんだか使うのがもったいない気がして大切に保管してあります(〃▽〃)

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そして、母が買ってくるのはこのきき湯ファインヒートシリーズなのですが、これがまたいい入浴剤で、疲れがものすごく取れる気がします。

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なんか、今年に入って調子がよく、毎日仕事に行けているのも何気にこれのおかげかもしれないです。

 いくつか種類があって、上の4種類全部使ってみましたが、緑のと青のパッケージのやつが個人的にも家族の評価的にも疲れに効果があるなぁと感じたので、気になる方は試してみてください♪

 

 

今年のせっかくのゴールデンウィークもどこにも行けそうになく、つまらないなーと思わないでもないですが、家にいながら楽しく過ごせる方法を見つけて、出かけられなかったけどそれなりに楽しくできたね、と思える連休にしていきたいですね。


 

 

鬼滅の刃良いよね

今週のお題「最近見た映画」

 

今、大人気の映画といえば、鬼滅の刃無限列車編ですね!

映画館には人がたくさん観に行っていて、現時点で興行収入が200億を突破し、煉獄さんが200億の男と呼ばれております。

 

私はというと、公開から2日後にさっそく観に行きました。

公開初日にあかざの声優さんが私の大好きな石田彰様だということが判明したので、いてもたってもいられず、母と一緒に観に行きました。

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鬼滅の刃を私が観るようになったのは、母が勧めてきたからである。

それまで私はそんなに鬼滅の刃に興味は無かったのだが、普段アニメを全く観ない母が鬼滅の刃を勧めてくるのは非常に珍しいことで、この作品が普段アニメを見ない層も魅了しているということに興味を惹かれ、観るようになったが、人間にも鬼にもキャラクター達にそれぞれストーリーがあって、私もひきこまれていきました。

切ないシーンがとても多くて涙腺ゆるゆるになりますね😢

そして冨岡さんが2体家にいるようになったり

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無一郎くんが私の充電器を守ってくれるようになったり

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グッズも買うようになりました😊

 

現在公開中の無限列車編は煉獄さんの魅力が溢れた作品になっており、列車や戦闘シーンにとても迫力があって、劇場で観て本当に良かったよ😆

 

映画はもちろん最高でしたが、映画の先の話も見所がたくさんあるので、今後の展開のアニメ化が楽しみだなぁ

特に、私の鬼滅の推しの一人である不死川実弥の活躍をアニメで見るのが楽しみです。

なんたって、実弥は私が中学校の時ラブレターを送った関智一様が演じてらっしゃるので、関様の迫真の演技が本当に楽しみでならないな🥰f:id:naotora57:20201109205632j:image

あと、石田彰様が猗窩座あの名シーンをやると思うともうやばいし🥺🥺🥺

 

こんな感じで、私も鬼滅の刃ブームを楽しんでいます。

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私の不調とは

皆さん、お久しぶりです😊

ブログをかなり長い間放置してしまいましたね。

何故ここまで放置してしまったかというと、ブログの他にYouTubeでも緘黙の話をしているからということもありますが、単純にあまり心身の調子が良くなかったから、というのが1番の理由です。

なので、YouTubeすらも最近は更新できていないという始末😢

 

さて、私はよく、自分の状態を周りの人に伝えるときには、こんな風に「調子が悪い」と言いますが、私にとって「調子が悪い」とはどういうことなのか、について今回は書いてみたいと思います。

 

まずは精神面について。

やはり、人と話すことに対して大きな不安感がある。

実際に、仕事や病院など、やっぱり人と話す必要がある予定がある前日などは不安になるし、酷いときには不安で眠れないこともある。

そして、実際に人と会って話す際に言葉が思うように出てこなくて、不自然な沈黙が起きてしまうこともよくあるのだ。

ただ、この対人不安や、実際に人と話すときの不自由さは生まれたときからずっとあったことだから、もはや当たり前のことなのだが、最近はこれだけではない。

「いつまでこの状態なんだろう」「今日も1日なにもできなかった」「仕事も少ししかできないで、時間を無駄にしすぎているのではないか」「母がいなくなったら、私は生きていけるのだろうか」

といった、今の時間の過ごし方や先への不安である。

症状自体が辛いのだが、それに加えて最近は活動できない罪悪感や、症状がこの先も良くならなかったらどうするのか、といった心配が心にのしかかっている感じだ。

 

身体的な不調は、体が重いことや、疲労感で横になっていることが多いこと、体重増加である。

身体的な不調によって、人に会わないときは寝て過ごすことが多く、思うような活動ができない。

 

そんなこんなで、最近は何もせず大人しくしていることが多かった。

2020年もあと2ヶ月しか無い。

このままだと何も無い1年になってしまうから、少しでも何か活動できるようにしたいな、と思っています。

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片付けられない女

お題「断捨離」

 

私はうつ病だ。

うつ病だから、うつ病について調べることも多いのだが、うつ病でできなくなることの1つが片付けだ。

 

私は片付けられない女だ。

私の場合、片付けできないのはうつ病の症状で意欲がわかないからだったり、頭の整理ができなくて片付けられないのはもちろんあるが、それ以前に片付け自体が苦手なのである。

うつ病になる前は親に家を掃除しておくように言われて掃除したものの、

「掃除したよ」

と親に掃除した部屋を見せたら、親はf:id:naotora57:20200724110938j:image

こんな感じできょとんとして、

「え?あんたどこ片付けたの?」

と言ってくることがよくあった。

それなりに時間をかけて掃除したのにも関わらず、全然綺麗になってなかったのである。

 

でも、私は学校での掃除や、ファーストフード店でのバイトで掃除することもあったが、そこでは緘黙もあって黙々と掃除することは苦に感じなかったし、集中してやっていることもあってか、掃除し足りないとかで注意されることも全然無かった。

 

ここで気づいたのが、家の掃除は自分でどうやるか、何をどこにしまうかなど、自分でやり方を考えて行う必要があり、学校やバイトの掃除はやり方をしっかり教えてもらって行っていた。

結局、やり方が決まっていればそれなりに綺麗に掃除することができるが、決まっていないとどうしたらいいかわからなくなって、掃除したのかしてないのか分からない状態になるのだと気づいた。

 

私は場面緘黙症で、自分の考えを人に知られることにも強い抵抗があった。

だから、作文や図工など自分が作ったものを他人に見られることが嫌で、もはや作ることを放棄してしまい、いつまでも完成させることが出来ないことがよくあった。

だから、他の子と比べると自分で考える機会が少なくなっていたのかもしれない。

私が自分で考えて片付けをする事ができないのは、これの影響が少なからずあるんじゃないか、と思っている。

 

おまけに、家の片付けであるあるなのが、昔なくしたものがでてきたり、昔ハマっていた本や面白い写真に気を取られて片付けが進まないことだ。

これは緘黙とか関係なくたくさんの人が経験していることだと思うが、自分で考えて片付けができない所に更に昔のもので気が散ってしまうと、やっぱり片付けなんて無理なのである。

 

だから、私の部屋は大体片付いてはいない。

部屋が汚い女はだらしないと思われてしまう。

これではいけないので、私は片付けを定期的に行い、自分で考えて片付けをする訓練をしなければならないな、と感じている。

最近の仕事

最近、うつ病場面緘黙症も調子がすごく悪い。

調子が悪いときにできなくなることの1つが仕事だ。

調子が悪いときは好きなことすらできないのだから、好きなことより何倍もエネルギーを使う仕事はできなくなって当然だと私は思っている。

不調で家を出る準備がどうしてもできないときは休むしかない。

そして、不調が続くと休むしかない日が多くなって、次に出勤するときのことを考えると恐怖がやってくるのだ。

 

私は今、放課後等デイサービスの職員として働いてはいるが、仕事の内容は主に発達障害不登校の子どもたちに勉強を教えたり、療育をしたりしている。

私は場面緘黙症ですごく苦しい子ども時代を過ごしたからこそ、同じように自分の障害などで躓いている子どもたちの力になりたいと思っていた。

だけど、この仕事は、先生としてしっかり子どもたちと話をして関わる仕事だ。

約4年この仕事をやっているが、うつ病だけでなく最近は場面緘黙症の症状が仕事中に出てきてしまい、子どもたちに働きかけることがだんだんとできなくなってきている。

勉強を教えるときも、頭が働かなくなってきていて、正直、職場にいるだけの存在になってきつつあって、全く役に立てていない。

いくら私が子どもたちの力になる仕事をしたいと思っていても、やっぱり私自身が未だに場面緘黙症うつ病に悩まされている身だ。

病気に阻まれているのは本当に悔しいけども、気持ちだけでは仕事はできないということだ。

梅雨のせいで調子が悪いのもあったが、よく考えてみたらそもそもこの仕事での自分の無力感もうつ病に非常によくないということに気づいた。

 

だから、もう今の職場を辞めて、自分に合った仕事をすることを考えている。

今関わっている子どもたちの成長が見れなくなってしまうのは悲しいが、今以上にはもう仕事はできない気がしているし、「ただいるだけの先生」と子どもたちにも思われているかもしれないと思うと耐えられない。

 

次の仕事をするとして、新しい環境に適応することも非常に苦手だが、慣れるまでの辛抱だと考えて、次のステップを踏み始めようと思っている。