なおの場面緘黙症日記

外で喋りたくてもうまく喋れない私の日記。YouTube「場面緘黙症なおちゃんねる」→ https://m.youtube.com/channel/UCFu5NR7KQwj8G0q6uzjNUVA

広汎性発達障害

最近、私の病気に関して新たな事実が発覚したのでお話ししようと思います。

現在、私はA型事業所で働いていますが、収入が少なく、親がいないと生活できない状態なので、このままでは自立できないし、親にも負担をかけまくっていることに不安を感じ、かといってこれ以上はまだ働くことは難しいため障害年金の受給に向けていろいろ準備をしています。

障害年金については受給できるかどうかが決まり次第またブログに詳しく書こうと思っています。

障害年金の申請には病院の先生の診断書が必要で、その診断書には私が把握してなかったことが書いてあったのでその話をします。

 

私は自分の病名は場面緘黙症の後遺症であるうつ病社会不安障害だと思っていました。

実際に数年前に受けた診断ではこの病名を言われていたし、今もそうなんだろうな、と思っていたけど、最近の診断によると私は社会不安障害ではなく広汎性発達障害うつ病の併発という診断になっていました。

 

ははははは、発達障害!?

以前発達障害の子供の支援をしていた私も発達障害だったんかー!!!!!

f:id:naotora57:20220412163203j:image

 

と衝撃を受けたと同時に、発達障害と言っても人によって症状は様々なので、私の広汎性発達障害ってどんな発達障害なんだ?と思って調べてみました。

 

広汎性発達障害には主に

・対人関係の困難

・コミュニケーションの困難

・こだわり、興味の偏り

という症状があるそうです。また、

・感覚の過敏や鈍感

・運動が苦手

という症状も人によっては見られるということでした。

 

調べてみると私が以前大学のサークルで関わっていた自閉症の特徴と似ているなぁと思ったら、病院によっては広汎性発達障害のことを自閉症スペクトラム障害として診断名をつける先生もいるみたいで、要は私も彼らと似た障害者だったということに気が付きました。

私がサークルで関わった自閉症の人たちの外から見た様子だけで判断して、「私は自閉症ではないな」とか思っていたけど、よくよく考えてみたら、私は対人関係やコミュニケーションには小さい頃から問題があったし、予定が狂ったらとてつもなく不安になってパニックになるし、うるさい場所が苦手で、放課後等デイサービスの仕事中に子供たちが騒がしくなったり、学生時代に教室が騒がしいのを感じたりすると具合が悪くなったことが何回もあったし、興味の対象が限りなく狭いし、運動は何やってもビリで手先も不器用だし、広汎性発達障害と言われてみれば心当たりばかりでした。

 

これまで私が支援する側として関わってきた自閉症の人達や放課後等デイサービスで勉強を教えてきた発達障害の子たちと私は外から見える様子はまるっきり違っていたとはいえ、もしかしたら彼らも私も似たようなことで困ったり不安になったり生きづらさを感じたりしていたのか、と思うとともに、支援者の立場を経験しながら自分も似た障害者であったということになんだか不思議な気持ちになるなどしました。

 

広汎性発達障害は生まれつきの脳の機能障害によっておこるそうで、私の場面緘黙症は幼稚園くらいから発症したので私の場合は緘黙の原因が広汎性発達障害の特性によるものだったと考えられると思いました。

場面緘黙症にも考えられる要因がいくつかありますが、私の場合は私の脳の問題だったのかもしれないなぁという可能性があり、腑に落ちたというかちょっとすっきりした気持ちです。

 

今後は広汎性発達障害についてもっと勉強し理解を深めると同時に、この障害を抱えながら健康で自立した生き方をしていくにはどうしたらいいかを考えていくきっかけにしていきたいと思っています。

f:id:naotora57:20220412163229j:image

 

YouTubeでも広汎性発達障害についてお話しています。

 


www.youtube.com

 

障害者割引を使うか否か

私は、障害者手帳を持っています。

精神障害者の2級ですが、地味に悩んでいることがあります。

 

それは、障害者割引を利用するか否かです。

正しくは人と遊びに行く際に障害者手帳を提示して割引を受けるかどうか悩むということです。

 

障害者手帳を提示することで映画が安くで見られたり、美術館や博物館、水族館の料金が半額や無料になったりします。

これは障害のある人でも外出しやすくするためのもので、引きこもりがちな人に外に出るためのきっかけを与えることはもちろん、障害や病気によって満足に働くことができず、お金がなくて休みの日を楽しむことができない人たちへの権利でもあります。

 

そう、権利なんです。

だから、私は一人で出かけるときにはせっかくの権利を無駄にしたくないし、実際に満足に働けていないのでこのように経済的なサービスは非常にありがたいのです。

なので私は1人や家族と外出するときには迷うことなく障害者手帳の割引を使用しています。

でも、ここで悩むのが人と出かけるときに障害者割引を使うかどうかです。

とはいっても友人も少なく恋人もいない私にはこれで悩んだところで人と出かける機会なんてないだろ、と思わなくもないですが、いずれはそういう機会に恵まれる事もあるのではないかと希望を捨てきれずにいます。

でも、私は誰彼かまわず自分の精神障害を打ち明けているわけではなく、また、新たに仲良くなった人に自分が精神障害者であることを打ち明ける場面を想像すると、ものすごいハードルの高さを感じます。

勇気を出して打ち明けたところで障害持ちである私の事を重い存在だと思われてしまったり、打ち明けたことで困らせてしまう可能性もゼロではなく、なかなか打ち明けるのは大変だったりします。

そんな状態で映画館や水族館や動物園などに遊びに行くことになって、私が急に障害者手帳を利用していたらやはり驚かれてしまう気がしています。

でも、障碍者手帳の割引は結構大きな額だったりします。

例えば普通に映画を見ると2000円弱かかる料金が1000円ちょっとで済んだり、1500円程度の水族館の入園料が無料になったりします。

それに、障害者1人につき付き添いの人1人まで障害者と同じ料金で施設の利用ができるという、私の様に収入が少ない障害者にとっては出かける機会を得るという点でとても助かる制度なのです。

料金のことを考えると自分は決してそんなにたくさんのお金を持っているわけではないので、利用しない手はないと思ったりするのです。

 

そもそも、そんなことで悩まずとも、信頼できる人に病気を打ち明けてその上で手帳も利用すると言うのが一番いいのですが、なかなかそこまで仲良くなることもなく、もし、そこそこの間柄の人と外出する機会があってその外出先が障害者割引を使える場所だったら私はどうしようかなぁとふと悩んでいます。

好きになるとき

私は場面緘黙症で、子供のときから人と会話がなかなかできなくて、あまり対面での付き合いで他人と仲良くなることができません。

それは、表面上は普通に話せるようになった今も変わらず、根本的に他人と話すことに対しては不安と恐怖があって、そこがまだまだ消えてくれなくて仲良くなるまでに至らないことが多いです。

 

そんな生活をしているので、彼氏ができるなんて夢のまた夢な話です。

でも、それなりに片思いだけは経験してきています。

全部実ることなく消えていきましたけどね(*'ω'*)

 

今回はいち場面緘黙症当事者の私がどんな時に男性を好きになることがあったかというお話をしてみようかと思います。

 

たくさん話しかけてくれたとき

まずは、たくさん話しかけてくれた人を好きになったことがありますね。

特に、学校に通っていた年齢の時はクラスで全くと言っていいほど話ができなかったため、話しかけられても私は答える事はできませんでした。

でも、反応できなかったとしても、

「え、この人私が反応できないってわかってるのにそんなに話しかけてくれるって何!?めっちゃ優しくない?やば!!!」

みたいな感じで心の中ではものすごくテンションが上がっていたことがありました。

そんな感じで話しかけられたことでテンションが上がっていくのが積み重なった結果、話しかけてくれていた男の子のことが気づいたら大好きになっていたことがありました。

私が話せないから、ほとんどの人は私を空気のように扱うか、気味悪がって避けるかが多かったので、普通に話しかけてくれるような子は本当に貴重で、そんな貴重な子を好きになるのは結構自然な事なのではないかと思っています。

 

優しくしてくれたとき

やっぱり、優しくしてくれる子もとても魅力的ですよね。

私は口がきけなかったので、忘れ物をしても隣の席の子に

「教科書見せて」

とか、

「消しゴム貸して」

とか、頼むことができませんでした。

なので、絶対に忘れ物をしないように細心の注意を払っていましたが、やはり人間だれしもミスはあります。

気を付けていても忘れ物をしてしまうことがありました。

そんな時もやっぱり自分から他の子に貸してもらうように頼むことができず、授業中に途方に暮れ、早くこの時間が終わってくれることをひたすら願うだけの時間を過ごすことが多かったです。

でも、まれに私が何も言えなくても、私の机の上に教科書がないことに気づいてくれて

「教科書は?」

と尋ねてくれて、私が首を横に振ると見せてくれた男の子や、算数の時間に分度器や三角定規を忘れてしまい、問題が解けなくて困っていたらすっと横から貸してくれた男の子がいました。

私が普段話すことができないのは普段の様子からみんなが知っていたことだけど、こうやって私が困っていることを察して助けてくれる子の優しさが私はとても嬉しかったし、そんな子はやっぱり好きになってしまっていました。

 

 

理解しようとしてくれたとき

また、私のことを理解しようとしてくれた時も好きになってしまってました。

「なんで喋らないの?」

という言葉は、緘黙の経験がある方にとってはトラウマな一言だと思います。

何でと言われても自分でもわからないし、説明できないし、何ならなんで喋れないのか私が一番知りたいわよ、と思っていました。

なので、この質問は基本的には私も大嫌いな質問でしたが、「なんで喋らないの?」って悪意で聞いてきているのかそれとも自分に興味を持ってくれているから聞いてきているのかは聞かれた側の私には大体わかっていました。

「なんで喋らないの?」と聞かれてもやっぱり答えられなかったけど、それ以外のこともたくさん話しかけてくれて、たくさんかかわろうとしてくれる子は男女問わずありがたい存在で、今でも覚えています。

男の子であれば「わかろうとしてくれてる子なんだ」と思って好きになりかけていたことがありました。

また、大人になってから「実は私場面緘黙症だったんです」という話をした後、「理解したいです」と言ってもらえたことがあって、その人のこともあっさり好きになったし、とにかく病気のことも含めて私のことをわかろうとしてくれようとしてもらえると、好きになってしまうことが多かったです。

 

 

以上、これまで場面緘黙症を抱えて生きてきた私がどんな人を好きになってきたかのお話をしてみました。

やっぱり、緘黙は私の人生の大きな要素なので、そこを理解しようとしてもらえたり、緘黙を踏まえて優しくされると私は弱いんだなぁと言う感じですね(〃▽〃)♡

片思いばっかりですが、場面緘黙症で話せなく、傷つくことや大変なことがたくさんあるからこそ、そこに関して優しくしてもらえた時にそのありがたさをとても強く感じます。

恋愛対象としてだけでなく、全く話せなかった時代に優しくしてくれた人たちのことは今でも覚えているので、態度には全く出せないけどとてもうれしい気持ちになっているんだよ、ということが少しでも伝わればいいなぁと思っています。

集中できない

私は場面緘黙症でずっと生きてきたストレスから、20歳になって半年たった時にうつ病を発症し、現在28歳なのでうつ病と8年間も付き合ってきました。

場面緘黙症の症状はその時と比較してかなり良くなり、今では

「普通に話せてるよ」

とか、

場面緘黙症って言われないと全然気づかないよ」

と言ってもらえる程度には会話ができるようになってきていますが、やっぱり健常者と同じようにはいまだに働けていません。

今は緘黙の症状よりもうつ病に困っている状態です。

 

うつ病で困っていることはたくさんあるのですが、場面緘黙症だけの時は得意だったのにうつ病にもかかってしまった今できなくなっていることがあります。

 

その一つが、物事に集中することです。

 

小学校から高校まで、私は何かに集中することが得意でした。

学校の授業もとても集中して聞いており、勉強で困ったことはあまりなかったような記憶があります。

また、みんなが自習の時間におしゃべりに興じている中、一人黙々と勉強を続けていたり(単に輪に入れなかっただけでもあるけど)、テストの時間もあまり苦に感じずに取り組んでいたり、とにかく私は集中することが得意だったし、先生や親からもそう思われていました。

 

ところが、うつ病にかかって私は集中することが難しくなってしまいました。

何か作業をしていても頭が働かなくて、現在A型事業所でエクセルのテキストを用いて学習する時間があるのですが、調子が悪い日はその時間にもテキストの問題の意味を理解することができなくて、課題に取り組むことが難しく、進まないことがあります。

 

現在はとりあえずパソコンの勉強はしているもののマイペースにできるし、学習以外にも入力作業もすることがあって、入力作業は特に頭を働かせなくてもできる作業なのでそれなりにできています。

 

でも、学生時代はこうもいかなくて大変でした。

大学3年生の時にうつ病にかかりましたが、テストの対策のための勉強がなかなかできなかったり、提出しなければならないレポートが書けなくて困ったり、読まなければならない本も読めなかったりして、調子が悪い日は学習がほとんどできず、調子のいい日にまとめて行うようにしていました。

卒論の時期は本当に大変で、調子のいい日に大学のパソコン室に何時間もこもり、調子が悪い日は休む、と言う流れで行い、何とか調子がいい日に進めて期限までの提出ができました。

 

大学時代うつ病で勉強が大変だったけど、まだ中学生や高校生の受験を控えたときにうつ病にかからなくてラッキーだったと思っています。

本番の日に調子の悪い日が重なってたら問題が解けなかったかもしれないし、勉強もできなくて大学にもしかしたら入れてなかったかもしれません。

 

うつ病は気分が落ち込む病気と言うのはたくさんの人が知っているとは思いますが、それ以外にも何かに集中することも難しくなったり、他にもたくさんの困りごとがあるので、このブログでもうつ病についても今後も書いていきたいと思っています。

鉛筆キャップをあげまくっていた話

これは小学校1年生の時の話です。

小学校になる前には教科書やランドセル、文房具と言ったものを親が準備してくれていました。

その中には、鉛筆の芯が折れるのを防止するための鉛筆キャップがありました。

母が買ってくれた鉛筆キャップはとてもかわいくて、お気に入りでした。

 

小学生になってしばらくして、その鉛筆キャップをめぐるトラブルが起きてしまいます。

ある女の子が私に話しかけてきました。

「ねえねえ、そのキャップ貸して」

 

私は使ったらすぐに返してくれるんだろうな、と思ってその子に鉛筆キャップを渡しました。

するとどうでしょう、そのキャップは返ってくることはありませんでした。

何日経っても返ってこなくて、でもまた数日後、

「キャップ貸して」

とまた言われ、今度こそ返してくれるのかと思えば、そのキャップも返ってくることはなく、それが何回か続きました。

「この前貸したキャップ全部返して」

と言いたかったけど、場面緘黙症だった学校では誰とも話すことができなかったので私はその子に返してと言えず、また、「貸すのが嫌だ」と言うこともできなかったので、不本意ながらもその子に鉛筆キャップをあげ続けるという事態になってしまいました。

その子もきっと私が学校でしゃべらないから鉛筆キャップをパクることなんて容易だと思っていたのでしょう。(実際その通りでしたが)

そんなある日、家で筆箱を開けた私を見た母が、鉛筆キャップがないことに気づきました。

「ちょっと!鉛筆キャップが全然ないけどどうしたの?」

とものすごく真剣な顔で聞かれ、私は学校で起こったことを話しました。

すると、

「そんな言われるがままになったらだめだよ!嫌なことは嫌って言わないと!」

と母に言われました。

その当時は場面緘黙症なんて言葉は今以上に普及していなくて私も母も話せない理由が場面緘黙症という病気によるものだという認識がなかったので、母は女の子に言われるがままだった私を叱ったし、私も「言えなかった私が悪いんだ」と思いました。

でも、そう思ったからと言って話せるようになるわけでもなくて、その後は「貸して」と言われて首を横に振ることはできるようにはなりましたが、「返して」と言うことはできなくて、結局鉛筆キャップは取り返せませんでした。

 

いつまでたっても鉛筆キャップが戻ってこない様子を母が見かねて先生に伝え、先生からその子にも伝わったのか、

「返すね」

と鉛筆キャップを渡してきましたが、その鉛筆キャップは私がもともと持っていたものではなく、全く違うものが返ってきました。

 

この昔の私のように、場面緘黙症の子は嫌なことを嫌だと意思表示できずにそのまま従ってしまう場合もたくさんあるのではないかな、と思います。

当時の私は

「せっかくお母さんが買ってくれた可愛いキャップだったのに」

と、キャップを手放してしまったことへの悲しさや母がせっかく私のために用意してくれたものを自分で使うことができなくて、「お母さんにかわいそうな事をしてしまった」と自責の念にも苛まれました。

あれから20年以上たった今でもこうやって文章にできるくらいよく覚えている出来事です。

 

意思表示ができない子たちの中にはこうやって物やお金を他の子に渡してしまうこともあり、大きなトラブルになるため、子供たちの持ち物からも子供たちの人間関係が読み取れることもあると思います。

子供のことも、持ち物のことも見守っていく必要があるんじゃないかという気がしています。

f:id:naotora57:20220217201504j:image

復活してほしかったものが復活してくれた話

今週のお題「復活してほしいもの」

 

私が子供の時に大好きで、大人になってからしばらく経ってからも復活を願っており、それが数年前に叶っていた話をしようと思います。

それは、ゲームソフト、クラッシュバンディクーシリーズでした。

 

クラッシュバンディクー宇宙初の奥スクロールアクションゲームで、奥に進んだり横に進んだり上に進んだり、名物の追いかけられて前に進んだりするゲームで、私が小学生の頃に父が持っていたゲームで、このクラッシュバンディクーシリーズがとても大好きで母の目を盗んではやっていたものでした。

私はゲームは上手くなくてめちゃくちゃへたくそで箱を全部壊したり、ダイヤをゲットしたりと言うやりこみ要素をなかなかクリアすることができなかったけど、クラッシュバンディクーのゲームの世界観やステージの面白さが大好きで、同じステージを何回も遊んでいました。

 

でも、日本ではたしか2005年だったかな?に発売されたがっちゃんこワールドを最後にその後10年以上新作の発売はされていませんでした。

海外では日本では売られていないクラッシュのゲームがあったようでしたが、キャラデザも大きく変わってしまい、私の知っているクラッシュはもうこれ以上は遊ぶことができないのだな、と悲しい気持ちになっていました。

 

そんな気持ちの中、2017年、なんと初代クラッシュバンディクーからクラッシュバンディクー3までをリメイクした「クラッシュバンディクーブッとび3段もり」という作品が発売されました。

以前のシリーズよりも映像がきれいになったのはもちろん、なんとクラッシュバンディクーはころころキャラクターの中の人が変わっていたのですが、中の人もほとんど当時のままということで、昔のクラッシュバンディクー好きにはたまらないゲームが発売されていました。

でも、その内容は昔の3作とほとんど変わらないようだったし、当時私はゲーム機を持っていなかったので3段もりの購入はせず、実況動画などを見て楽しんでいました。

その後、ついに私がゲーム機を購入し、ソフトも購入することになりました。

それは、クラッシュバンディクーシリーズの4が登場したことでした。

f:id:naotora57:20220211110226j:image

 

この4は、3段もりでリメイクされたクラッシュ3の続編で、全く新しいステージが遊べるということだったので、これは私もやってみたいと思い、最近ようやく経済的にもゲーム機とソフトを変える余裕が出てきたので購入し、今4をプレイしています。

 

クラッシュバンディクー4をプレイしてみての感想ですが、、、

 

やばいぐらい難しいです('_')

クラッシュバンディクーはもともとめちゃくちゃ難しいけど楽しいゲームだという認識でいましたが、そのもとからめちゃくちゃ難しいのをさらに1.5倍ぐらいは難しくなっているような気がします。

最初のボスステージで30回以上は死んでしまったし、中盤のボスに至っては90回近くも死んでしまって、昔のクラッシュでこんなに何回も死んでたっけ???

と感じています。

今作も箱をすべて壊したり、ダイヤをゲットしたりタイムアタックをしたりという従来のやりこみ要素もありますが、もうなんと言うか、普通にクリアするだけで精いっぱいで、箱やダイヤどころじゃないです。

タイムアタックなんて、一度も死なずにスタートからゴールまで行かないといけないので、タイムアタックができるようになるの、私の今の下手さからいうと5年後くらいになるんじゃないか?という気持ちでいます。

 

でも、難しさこそクラッシュバンディクーの醍醐味の一つでもあって、従来のクラッシュにプラスして特殊な能力が使えるステージがあったり、新しい仕掛けがあったり、まさかのキャラクターが使用可能になったり、非常に楽しいです。

 

日本でクラッシュバンディクーの新作が出ることになるなんて、想像もしていなくて、また新作で遊べるようになるなんて夢みたいだと思っていたことが現実になり、とてもうれしく思っています(o^―^o)✨

愛しの妓夫太郎

今週のお題「鬼」

※この記事は鬼滅の刃遊郭編のネタバレを含みます。

ネタバレを知りたくない方は読まないでください!

 

 

今、鬼滅の刃遊郭編のアニメが放送されていますね。

その遊郭編には私が大好きでたまらないキャラクターが登場します。

それは、この遊郭編のボスキャラともいえる妓夫太郎です。

f:id:naotora57:20220130103924j:image

妓夫太郎は鬼滅の刃に登場する鬼たちの中で最も強いとされる上弦の鬼の一人です。

普段は妹である堕姫の中で眠っていますが、堕姫がどうにもならない状態になると堕姫の体から出てくる鬼です。

美しく、遊郭の中でもトップクラスの人気を誇る堕姫のとは対照的に不健康にやせ細った醜い兄で、自分より幸せな人間を許さないという一見すると非常に不気味で悪い鬼のように見えますが、彼にはそれを覆すほどの大きな魅力があると私は思っています。

(醜い容姿という設定ではあるものの、私はダウナーな感じのキャラクターが好きだし、あの不健康そうな感じがたまらないわぁ♡と思っているので私は妓夫太郎の容姿も大好きなのですが)

 

妓夫太郎を見ていて、私自身と当てはめて共感できるところと、私とは違ってとても魅力的なところがあるのでそのお話をしてみようと思います。

 

 

ここからはネタバレになりますが、人間時代、妓夫太郎は遊郭の最下層の環境で生まれ、容姿も醜かったことから人々からは罵倒され、石を投げられ、生みの母からも何回も殺されそうになるなど、非常に過酷な状況にありました。

この過去があって、鬼になってからも自分より恵まれた存在に対する嫉妬だったり、憎しみがあるのだろうということは私にも少し共感できる部分がありました。

私の環境は妓夫太郎みたいにひどい物ではなかったけれど、家は裕福ではなかったし場面緘黙症で他人と会話ができなかったことで小学校から高校まで人から気味悪がられてきた経験があります。

現在も他者とうまくかかわることができなくて孤独感を感じることも多いので、自分よりキラキラしている人たちや幸せそうにしている人たちに対しての嫉妬心で苦しくて仕方がなくなる時がたまにあります。

妓夫太郎の背景から、彼が幸せな人間を許せずにいる気持ちが少しだけ理解でき、好きなキャラクターとなりました。

 

 

そんな妓夫太郎の唯一の希望が妹の梅、後の堕姫でした。

梅はとても美しく、妓夫太郎の自慢の妹でした。

梅も髪の色が特殊だったために母親が気味悪がって殺そうとするのですが、その梅を妓夫太郎はずっと大事に守り、育ててきました。

それは妓夫太郎たちが鬼になったのち、そして死ぬ間際になっても変わることはなく、妓夫太郎の行動から梅への深い愛情を感じる場面が多々あり、私はさらに妓夫太郎が大好きになりました。

私には弟がいます。

私は母親に恵まれていたので、母に大切に育ててもらってきた自覚はあるのですが、母親に愛してもらった自覚のある私でも弟をここまで大事にはできずにいました。

弟には友達がいて、彼女ができて、そこそこモテて、私にとってはうらやましい存在でした。

妓夫太郎みたいに弟を可愛がったり、面倒を見たりすることはできず、いつも私は自分の事ばかりで、弟のことすら嫉妬の対象でした。

自分は話すことができず一人でいるのに弟にはできて、周りに人がいる。

その事実を喜ぶことができなくて、何も悪くない弟に当たり散らす日々でした。

 

母に大切にされても下の兄弟を大事にできなかった私から見て、親を含め誰にも愛されたことも大事にされたこともなかった妓夫太郎が梅のことを本当に大切にしていたことはとてもすごいことだと思っています。

 

大事にされた経験がないのに妹を大事にできた妓夫太郎は根はとっても優しくて暖かい青年だったのではないかと思っています。

 

 

個人的にぐっと来たシーンがあって、堕姫は容姿の劣ったものを嫌う性格をしていましたが、容姿が醜い兄に対して

「お兄ちゃんのこと醜いなんて思ってないよォ!!」

と言う場面があるのですが、梅が容姿ではなく愛情を惜しみなく注いでくれた妓夫太郎の心をちゃんと見ていて、梅もそんなお兄ちゃんが大好きなんだろうな、ということがうかがえるところなので好きな場面です。

 

現在アニメでは妓夫太郎たちと炭次郎達との闘いが熱いですが、その後妓夫太郎たち兄妹どうなってくのかを思うと悲しくなりますが、彼の過去がアニメでどのように描かれるかがとても楽しみでもあります。

私は妓夫太郎が大好きです♡