持久走大会
私は学校行事は基本的に嫌いだったが、1番嫌いだったのが持久走大会だった。
ひたすら走らされる悪夢の行事である。
もう、持久走大会の練習をするときの先生が鬼にしか見えなかった。
私は運動は何一つ、これっぽっちもできないので、持久走大会もダントツビリだった。
ゴールするときの恥ずかしさは二度と味わいたくない。
しかも、人前で動くことにも抵抗があったので、本番の、どこを走ってても保護者達に見られている状況も地獄だった。
それでも、毎年ちゃんと頑張って走っていたけど、ちょっと違った年があった。
それは、小学校5年生のときだった。
小学校4年生までは、学校の外を走るのは1周で良かったのだが、5年生からは2周走らなければならなかった。
1周ですら死ぬ気で走っていたのに、2周なんて絶対に無理だし、走れたとしても皆の2倍は時間がかかる。
そんな恥、私は絶対耐えられない!
そう思った私は、持久走大会の練習期間の体育を母に内緒で仮病を使ってひたすら休んでいた。
母には、
「ん?持久走大会の練習?やってるやってる!いつも通りビリだよ!′∇′👐アハハ」
などと言って嘘をついていた。最低である。
そんな感じで、ずっと持久走大会の練習をサボっていた。
そして、1回も持久走大会のコースを走らずに当日を迎えてしまった。
当日は母が学校に見に来ることになっていたから、走らないわけにはいかなかった。
なんとか完走するつもりで走ったものの、やっぱり1回も練習しないで走ったから、学校の外の1周目でめちゃくちゃ具合が悪くなり、途中で棄権してしまった。
この棄権により、母が私の担任と話をすることになってしまい、私が体育での持久走大会の練習をさぼり続けていたことが母に知れた。
その日、家に帰ると案の定ものすごく怒られた。
特に、私が母にずっと嘘をついていたことで、母はとても傷ついていたようで、怒りながら母は泣いていた。
私は持久走大会が本当に、死ぬほど嫌で、どうしても走りたくなかったけど、それを頑張らず、母に平然と嘘をついてしまったことを深く反省した。
その後も私にとって持久走大会は1番大嫌いな行事だったけど、その次の年からは毎年ちゃんと体育の授業でも走った。
高校まであったのだが、大学からは持久走大会は無くなったので、長距離走から開放されたことにとても安堵した。
でも、この小五の持久走大会は、反省の意味で印象に残っている。