なおの場面緘黙症日記

外で喋りたくてもうまく喋れない私の日記。YouTube「場面緘黙症なおちゃんねる」→ https://m.youtube.com/channel/UCFu5NR7KQwj8G0q6uzjNUVA

最近地味に悩んでいること

今、私は27歳で、もうすぐ誕生日が来てしまえば28歳。

三十路手前です。

 

そんな中、年齢に関してそれなりに悩んでいることがあるので書こうと思います。

 

それは、ピンク色とキャラ物が好きすぎることです。

 

何か物を買おうと思ったときにはピンクの物を選ぶし、スマホケースや傘、パソコン、ベッドのシーツその他たくさん、持っているものはピンクになりがちです。

 

おまけに、ぶたたが大量に家にいるし、不安が強い日はお守りとしてぶたたを連れて外出するし、何かあればぶたたの写真を撮ってしまいます。f:id:naotora57:20210929124920j:image

 

ぶたただけでなく、スマホケースや

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スライム用冷蔵庫、傘、ファンデーション、入浴剤などキティちゃんのものもたくさん愛用しています。

眼鏡はバーバパパ

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折り畳み傘はミッフィーちゃん、f:id:naotora57:20210929182348j:image

おまけにパジャマは野原しんのすけ

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他にもいろいろありますが、とにかくキャラ物が大好きだということです。

 

で、悩みというのが、この大好きなものをアラサーである私が使ったり身に着けたり集めたりすることは痛いことなのではないか、ということです。

よく、若作りをしている人や年相応のふるまいをしない人に対して、「あの人痛いよねwww」などと行っているのを見かけたりします。

私もこの年齢でこんなにピンクとキャラ物ばかり選ぶのは痛いことをしているのではないか、ということです。

 

本当にピンクやかわいいキャラクターが大好きで、自分では若ぶってるという意識はないけれど、もしかしたら年相応のふるまいとは言えないのではないかと思ったりするんです。

かといって、今好んでいるものではなく、落ち着いたデザインとかは持っていてもそんなにテンションが上がらないというか、やっぱり自分の好きなものに囲まれて生活した方が絶対楽しいのだけどな、と思ってもいて、葛藤しています('ω')

 

SNSでは私と同じようにぶたたを愛して一緒にお出かけしている人がたくさんいて、その投稿がかわいくて本当に癒されています。

他の人がかわいい物を大切に扱っている様子は微笑ましいです。

その人たちとつながることができてそれが楽しみの一つになっています。

なんか、他人に対しては好きな物や身に着けてるものは好きにして楽しむのが一番いいし、好みのものを身に着けたり使ったりすることで他人に迷惑をかけることもないから、好きにするのがいいと思うし、他人の好みに対して痛いなどと思ったこともほとんどないのですが、自分の事となると、三十路手前なのにこんないつまでも少女のような好みでいるのはどうなんだろうと思ってしまいます。

 

でも、かわいい物を堂々と身に着けることができるようになったのは、割と最近の事な気がします。

 

小さい時から高校まで場面緘黙で、できるだけクラスで目立たないようにしようとした結果、自己紹介か何かで好きな色を尋ねられた時に本当はピンクが好きなのに

「水色が好き」

と言ってしまうこともあったり、なるべく地味な見た目でいようと思って、全然好きじゃないデザインのものをあえて使っていたような記憶があります。

私が少し微笑んだだけで学級が騒ぎになることがあったので、もし私が派手でガーリーなものを選んだら何か言われるのではないかということを極度に恐れていたようなところがあります。

 

大学生になり少しずつ他人と話せるようになり、25くらいの時に今愛してやまないぶたたを知って、ぶたたをお守りとして持ち歩くようになってからだんだん買うものはキャラ物やピンク系のものが多くなっていきました。

きっと、幼い頃自分の好きな物を持てなかった反動が今来ているのだと思います。

 

もうそろそろ卒業した方がいいのかなぁと思いつつ、なんだかんだ言いながら結局今の好みは多分ずっと変わらないだろうしなぁと思う日々です。

 

 

緘黙アラサー女、コンタクトデビュー

 

 

コンタクトデビューを決めたわけ

 

最近、コンタクトデビューしました。

 

仕事でパソコンを使っていたり、暇さえあればスマホを見たりする生活でここ半年目を酷使し続けた結果、視力が一気に落ちてしまいました(´;ω;`)

視力が悪いならば、眼鏡をかけるかコンタクトレンズを作るかするべきだったのでしょうが、私には問題がありました。

それは、まず単純に自分が眼鏡をかけたときの顔面があまり好きではないからということ。

そして、もう一つが自分と他人の視線に弱いということです。

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この動画でも話していますが、私は人と会話することへの不安があります。

そこでよく他人と話すときに思い出していた言葉が、

「相手をじゃがいもだと思うと話すときに緊張しなくてすむよ」

という言葉です。

誰が言っていたことかは忘れてしまいましたが、この言葉が非常に心に残っていました。

そこで、眼鏡をあえてかけずに裸眼でいることで人の顔がいい感じにぼやけてじゃがいもに近い状態で見えるようにし、対人不安を和らげる方法をとっていました。

これまで裸眼でも何とか生活できるレベルの視力だったので長年この方法で過ごしてきましたが、やはり目には負担がかかっており、それに加えてパソコンやスマホの長時間の使用によって裸眼だといろいろと不具合を感じたり、肩こりや頭痛がするようになったので、「じゃがいもな視界のため!」などと言ってる場合じゃなくなってしまい、コンタクトレンズを作ることに決めました。

 

心配だったこと

そう決めたのはいいものの、コンタクトを買ったことがないためまずは買い方を調べてみました。

すると、まずは眼科で検査を受け、コンタクトの種類を選び、付け外しの練習を行ったのち購入という流れということがわかりました。

この流れを見て私が不安を感じた点はコンタクトを目に入れることが怖いとかではなく、やはり、

「やっぱり眼科に行かないといけないのかぁ。

眼科の先生と話さないといけないのかぁ。

初回は1時間30分とか2時間もかかるのかぁ。

コンタクトの付け外しの練習で私の病気が出て、手が震えたりなんかしたら恥ずかしいなぁ。」

といった、緘黙社会不安障害の症状でした。

眼科の先生に希望や要件を伝えられるのか、2時間も耐えられるかがとにかく心配でした。

これらを心配していたため、コンタクトを作ることを決めてから眼科をネットで予約するまでに1ヶ月もかかりました。

 

意を決して眼科へ

うだうだしていても時間は過ぎるばかりで、見づらさが気になって仕方ないし、この1ヶ月もったいない、これ以上時間を無駄にしたくないと思い、勇気を出して眼科をネットで予約しました。

ネット予約に対応している場所は、私の様に電話が死ぬほど苦手な人間でも予約を取ることができるので、私が生きている時代にネットが発達していてよかったなぁと心の底から思いますね☻

予約したからには行くしかないと思い、当日頑張って行ってきました。

 

眼科に入ると、病気を診てもらう人用の受付と、コンタクト外来の受付と分かれていて、コンタクト外来の受付へ行きました。

すると、簡単な問診票を渡され、何の用件で眼科に来たのかや、コンタクトレンズの希望、1日の装着予定時間、目の調子などを書くようになっており、コンタクトの希望は前々から調べておいたワンデーソフトレンズ、装着予定は最初だからわからないので空欄、目は軽いアレルギーでかゆい時があるのでその旨を書いて受付へ提出しました。

 

提出してしばらく待っていると、名前を呼ばれ、目の検査を行いました。

目に光や風を当てたり、視力検査を行ったりしました。

視力検査は、昔はどの方向に穴が開いているか指で表現していましたが、今回は口頭で

「上です。」

「下です。」

「わかりません。」

と答えることができました。

長い目で見ると成長してますね😊

 

まずは裸眼で検査したところ、ほぼ何もわからず、次に使っている眼鏡と同じ度数で検査しても、中くらいの大きさが見えませんでした(´;ω;`)

それから、度を足していって小さいものが見える度を検査しながら探っていくという感じでした。

その結果、なんと左目は0.06、右目は0.03、しかも左目には乱視があるということが判明しました。

いやー、なんと言うか、裸眼が見えなくなってきてるなぁとは思っていたけど具体的な数字を聞くとよくそんな視力で今まで裸眼で暮らしてきたな(;´Д`)

その後視力検査の後は院長先生の診察を受けて、コンタクトを装着しても大丈夫かの確認をしました。

私は通年性のアレルギーがあるので、もしコンタクトの装着ができないといわれてしまったらどうしようかと思っていましたが、アレルギーの目薬を朝と夜に1回ずつさせば大丈夫と言われ安堵しました。

余談ですが、院長先生が昔の歌のお兄さんの今井ゆうぞうさんみたいな雰囲気の優しげな人だったので、今後定期的に眼科に行くのがちょっと楽しみになりました😊

これで、定期的な検査もさぼらずにちゃんと通うことができそうです(*´σー`)エヘヘ♡

 

装着練習

 

そして、いよいよ装着の練習を行いました。

まずはコンタクト担当の先生がコンタクトを入れて、コンタクトを承着した時の感覚をつかむことから始めました。

コンタクトはあっさり入って、他人の目にコンタクトを上手に入れられるなんてすごいなぁと感心したと同時に、眼鏡をかけなくても視界が非常にクリアになったことにも感激し、しばらく周りを見回しました。

初めて入れた感覚は、ちょっと目にゴミが入ったような異物感がありましたが、想像していた痛みはなかったです。

コンタクトを装着した状態で見え方に違和感がないかの確認の後、実際に自分でコンタクトを装着してみることになりました。

やはり最初は目に物を入れるという行為が怖く、ついついまばたきをしてしまったり、目につけるとなぜかコンタクトが裏返ってうまくつけられなかったりしましたが、格闘すること約20分で両目にコンタクトを装着することができました。

人によっては1時間以上かかることもあると聞いていたのでもっとかかると思っていましたが、思ったよりスムーズにできました✨

 

購入したコンタクト

私は、コンタクトを買うなら、愛しの高橋一生がCMしているアキュビューシリーズのどれかにしたいと思っていました。

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ところが、コンタクト装着に使ったSEEDのワンデーのレンズが日本製で、一箱がアキュビューより2枚多く入っているのに安く、眼科でもおすすめされたので、結局SEEDのコンタクトを購入することに決めました。

 


 

初回なので眼科隣接のコンタクトショップで買うことにしたのですが、アキュビューはSEEDと比較して結構高かったです。

ネットでの買い方も調べたので、次はアキュビューをネットで買おうか、変わらずSEEDを買うか今から悩み中です😌

使い始めて約2週間になりますが、パソコンを見るのに集中していてまばたきを忘れたときは乾いてゴロゴロしますが、意識的にまばたきをしたり、パソコンを使わない時間はほとんど乾きを感じなくて、目薬もほとんどささなくていいのでいい感じです😊

ちなみに、私の使っているアレルギーの目薬と、コンタクトの接着液としても使える目薬です。

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アレジオンをさすようになって目のかゆみがかなり落ち着きました。

右のコンタクト用の方は完全にパケ買いですが、ほどよく清涼感があり、何よりかわいいので持っていてテンションが上がります(*'ω'*)

 

まとめ

 

以上が私がコンタクトを購入した流れでした。

眼科で先生と会話することに不安がありましたが、目のことしか話すことはなかったし、問診票があったので大体何しに来たかは問診票で伝えることができます。

コンタクトを作るまでうだうだ迷っていましたが、コンタクトを購入したことで近眼や乱視による頭痛や肩こりもなくなりました。

あと、自分の姿がよく見えることでスキンケアやメイク、身だしなみに気を遣おうという気持ちにもなり、身だしなみをちゃんとできたということで前向きになり、うつの症状にもいい影響が出ている気がします。

私にはコンタクト生活が合っているようです。

 

おまけ

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明日私は誰かのカノジョ

今週のお題「一気読みした漫画」

 

世間には、たくさんの漫画がありますね。

ジャンルも様々で、今は本だけでなくスマートフォンやパソコンで漫画を読むこともできてとても便利です。

 

私は今、とてもハマっている漫画があります。

それは、サイコミと言うアプリで読むことができる「明日私は誰かのカノジョ」という漫画です。

これが本当に面白くて、更新される毎週金曜日の0時になると即読んでしまっています。

 

どんな漫画なのかと言うと、レンタル彼女やパパ活、整形、ホストなどから、女性の心の動きや生き方などが描かれている漫画です。

テーマによって主人公が変わり、それぞれの立場の女性の物語に惹きこまれています。

 

私は、レンタル彼女という職業がこの世に存在することをこの漫画を読むまで全く知らなかったし、パパ活は危なくていかがわしい印象しかないし、整形は確かにコンプレックスはあるけど考えたことはないし、ホストに大金を払ってまで通う気持ちには共感はできないです。

そんな私がこの漫画に惹かれているのは何故かというと、彼女たちが体験しているのは私とは無縁の世界だけれど、彼女たちの不器用さだったり、抱えている孤独感だったり、虚しさだったり、恋をしたときに感じる苦しさだったり、切なさだったりがしひしひと伝わってくるからです。

私は人とうまく話せない病気で、築いてきた人間関係もこの漫画の登場人物と比較すればものすごく少ないけど、コンプレックスの強さゆえに自分を肯定できないことや、他人と自分を比較して辛くなってしまう所、片思いをしていてその人が自分に振り向いてくれるわけではないとわかっていてもどうにもできない気持ちなど、自分にも彼女たちと同じだな、と思う所がたくさんあって、読んでいて感情をとても揺さぶられています。

 

また、レンタル彼女もパパ活も整形もホストも私の生活には関係のないことですが、この漫画を読んで自分の知らない世界を知るきっかけにもなっています。

明日カノを読んだ人のコメントの中には、漫画の中に出てくる女性たちと同じような経験をしている人たちのコメントも多く、「リアルに描かれている」と言っている人がたくさんいて興味深いです。

まさに、自分が全く経験しえないことを漫画を通して知ることができて新鮮です。

 

あと、漫画の絵が可愛いので、少しえぐいと感じるシーンも読みやすいのも魅力だと思います。

 

世の中にはいろんな立場の人がいるんだなぁ、と思いながらも、同じ女性としてちょっとわかるな、と感じることもあって好きな漫画です。

単行本も出ています↓ 1巻がこちら


 

私の1番好きなホスト編


 


 


 

自分を改造したい

今週のお題「100万円あったら」

 

「もし百万円あったら何をしたいですか?」

とは、結構メジャーな質問ですよね。

私も、少しでも多く貯金をして、お金を使ってやりたいことをしたいと思っております。

旅行に行くとか、欲しい物を買うとか、好きな音楽のライブに行くとか、いろいろやりたいことはありますが、旅行やライブはこのご時世ちょっとできないので、それ以外の私の目標について書こうと思います。

 

私には、コンプレックスがたくさんあります。

いつもこのブログでは精神面だったり病気についてのコンプレックスを書いていますが、貯金をして直そうとしているのは身体的なコンプレックスです。

 

まず一つ目が、脱毛がしたいと言うことです。

私は、全日本剛毛女子会という会がもしあったとしたら、会長になれるレベルだと思っています。

普段は一生懸命剃刀を使って処理をしていますが、全身ムダ毛だらけで、もし何の処理もしなかったら、毛深い男性に匹敵するレベルに毛が育ってしまいます。

眉毛は完全に両津勘吉になってしまいますし、冬の時期にめんどくさくてうっかり育ててしまった私のすね毛を見た弟が

「お姉ちゃん、かわいそうだね( ^ω^)・・・」

などと、馬鹿にして笑うのを通り越して憐みの目を向けてきたこともあり、とても悲しい気持ちになったこともあります。

少しでも普段のムダ毛処理へのストレスを減らし、モチベを上げるために可愛い剃刀を買って、毎日頑張ってムダ毛を剃っていますが、これがまた大変で、太くて多い毛を全て剃るのはとても時間がかかります。

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ちゃんときれいに剃ったつもりが剃り残しがあったというのもよくあることですね(´-ω-`)

また、剃り残しはなくても毛穴が目立ってしまい、夏でもスカートや短めのズボンはとてもじゃないけど履けませんし、脇が見えるシャツも着ることができません。

さらに、剃っても一日ですぐに生えてくるので、さわったときにチクチクすると言うか、じょりじょりすると言うか、とにかくツルスベではない不快な感触がするので、何かの拍子で他の人に腕が当たった時には

「相手にチクチクが伝わってしまった!剛毛がばれてしまった!」

と内心とても焦ります(;´д`)

ムダ毛処理について調べていると、「毎日剃るのは肌に負担をかけるのでやめましょう」とか、「毛の流れに沿って剃りましょう」などと出てきますが、そんなこと守ってたら毛だらけになってしまいます。

自分の体を守るために生えているはずなのに、逆に肌に負担をかけてしまっているという…(´;ω;`)ウッ…

放っておいたらゴリラのように生えてくる毛を見ると、女性として生まれてきたことが間違いだったのではないかと思いますね。

こんな毛なんかとはきれいさっぱりお別れしたいのですが、脱毛はお金がかかるので、100万円あったらとにかく脱毛したいな、と思います。

 

もう一つ、お金をかけて直したいコンプレックスは、歯並びです。

私は歯並びが悪いです。

歯が見える表情で写った写真を見ると、あまりにもガチャガチャしていて嫌な気持ちになってしまいます。

特に、左右に目立つ八重歯があり、高校の卒アルの写真を撮影視した際に、カメラマンのひとに、

「君、牙が生えてるねぇ!」

と言われてしまったことがあります。

日本では八重歯をかわいいと言う文化が少しあるので、「八重歯がかわいい」と言われたこともあって、救われる思いがしたこともありますが、外国では八重歯はあまりいい風に受け入れられていないみたいで、八重歯がドラキュラみたいと言われてしまうことがあると知って、ショックを受けたこともあります。

外国に出ていく予定はないのですが、自分の口をあけて笑っている顔はあまり好きではないので治したいな、と思っています。

また、私は前歯の片方が少し出ているのですが、何かの拍子にこの出ている前歯が気になって、作業に集中できなくなってしまうことがあったり、並びが悪いことで余計な力がかかるのか、まれに頭が痛くなったり、歯磨きが大変で時間がかかってしまったりと、歯の並びが悪い事で日常生活にストレスを感じる場面がいくつかあるし、この歯並びでいると後々健康にも良くないと思っているので、その面でも歯並びを治したいな、と思っています。

でも、歯の矯正もやはりお金がとてもかかるので、なかなかできません( ノД`)

100万円もあったら、即歯の矯正を始めるのになぁ。

 

とは言っても、100万円なんて大金はぽっと出てくるものではないので、ツルスベお肌ときれいな歯を手に入れることを目標に仕事を頑張りたいと思います(´_ゝ`)


 


 

なお、先生辞めたってよ

 

以前のブログで

naotora57.hatenablog.jp

仕事を変えた話をちらっとしましたが、今日は前職を辞めた話を書こうと思います。

何度かブログにも書いたと思いますが、私は今年の1月末までは発達障害不登校の子どもたちに学習指導をしたり、療育をしたりする仕事をしていました。

 

私は、自分がずっと場面緘黙症で話すことができなくて、義務教育から高校まで本当に大変で、苦しいことがたくさんありました。

そして、現在30歳手前になってもいまだに緘黙の症状は完全には取り除けておらず、人と親しくなることが難しかったり、仕事も沢山はできなかったりして、苦労しています。

未だに他人と会話することがうまくできずにいる原因の一つとして、昔の学校生活で話せなかったことで周りの人から自分のことをなかなか理解してもらえなかった経験のトラウマが少なからずあると思っています。

好きで話せなくなっているのではなかったけれど、やっぱり一言も話せないでいると周りから見たら変な人で、気味悪がられたことがたくさんありました。

そんな中でも、私と仲良くなろうとしてくれた子がいたり、優しい言葉をかけてくれたり、歩み寄ろうとしてくれた人の存在は今でもとてもよく憶えていて、私はうまくその人たちに応えられなくて申し訳なかったけれど、その人たちには本当に感謝しています。

また、自分が場面緘黙症で苦労した経験を無駄にしたくないという思いもあり、自分の経験を何かに役に立てたいと考えていました。

だからこそ、今現在昔の私のように学校生活で困っている子どもたちの力になりたいと思っていたので、放課後等デイサービスの仕事を始めることにしました。

 

このように目標をもって仕事を始めたのはいいものの、やっぱり始めた当初はまだ今よりも対人不安の症状が強く、緘黙の症状も出ることがあって、自分から子どもたちに話しかけたり、働きかけたりすることがうまくできませんでした。

決められた勉強時間になっているのに、子どもたちに勉強をするように促すことすらできないときもあり、もはや指導員として職場にいる意味もない感じでした。

子どもたちももしかしたら、私の先生らしからぬ口数の少なさに戸惑っていたかもしれず、とっつきにくい先生だと思われてしまっていたかもしれません。

そのような状況ではいけないと思い、必死に自分から子どもたちに働きかけるよう努めるようにしたら、だんだんと子どもたちとは特に問題なく会話ができるようになり、勉強などの指導はもちろん、子どもたちと雑談することもできるようになりました。

 子どもたちに勉強を教えたり、お話をする中で、発達障害と一言で言ってもその子によって得意なことや苦手なことは全く違うし、「この障害だからこの接し方がいい」と決めつけて接するのではなく、その子をちゃんと見てどんなふうに接したらいいかを考えながら仕事をすることが本当に大切だと感じました。

 

私が働いていた放課後等デイサービスには、よく話し、よく動くタイプの子供たちがたくさん来ていました。

そのような子たちは学校などではきっと先生から

「静かにしなさい」

「落ち着きなさい」

と言われてしまう事が多いのではないかな、と思います。

よく口が動き、体も動いてしまう事で、授業や学級会などで騒がしくしてしまう子はたくさんいますよね。

私は、学校で全く話せず、その子たちとは対極なタイプだったので、人前で騒がしくする人の気持ちは正直分からずにいました。

でも、私が人と話せなかったのが、好きでそうなっていたわけではないように、その子たちだって好きで騒がしいわけではなく、その子たちはその子たちで自分をうまくコントロールできなくてそうなってしまうのかもしれない、もしかしたら、落ち着くことができないことをとても悩んでいるかもしれない、と考えました。

私は、場面緘黙症で話せなかったことを頭ごなしに否定されることでたくさん傷ついた経験がありました。

 好きでそうなっているわけではないのに否定されることは苦しかったし、なんでわかってくれないのだろう、と思っていました。

気持ちは理解しきれなくても、想像しながら接することが大事で、その子の気持ちを想像することを心がけました。

これは多分、自分が場面緘黙症を経験したからそう考えることができたのだと思うし、もし私が緘黙を経験していなかったら、自分の理解できない行動をする人に対して否定的な態度を取ってしまっていたかもしれません。

これまで、「自分が場面緘黙で苦しんだ経験を無駄にしたくない」と思ってきましたが、放課後等デイサービスの仕事で少しは経験が役に立ったんじゃないかな、と思っています。

 

なんでやめた?

これまで緘黙の経験を生かして、今学校生活が思うようにいかない子ども達をサポートしたいとずっと思っていて、実際にそれができる仕事をしていたのにどうしてやめてしまったのか。

それは、いまだに私は場面緘黙症から完全に脱せた訳ではなく、仕事をしていて自分のできることに限界を感じたからです。

 (↓以前そのことについて動画でもお話してます。)


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子ども達への学習指導をするには、どうしても話すという行為が必要不可欠です。

また、子どもたちに集団行動を身に着けさせる活動の時や、一緒に運動するときなど、皆に聞こえるような大きさの声で話さなければならなかったり、皆が見ている中で体を動かしたり、私の病気の特性上、しなければならないことは理解していましたが、その日の調子によってはうまくできないときもたくさんありました。

子ども達との時間は本当に貴重な時間で、そのまま先生としてかかわり続けたい気持ちはあったのですが、自分の病気の調子によって私の指導が変わってしまっている気がして、それは子どもたちにとって良くないことだと思っていました。

また、話さなければならない、動かなければならない仕事なので、私の病気の調子が少しでも悪いと、職場に出勤したとしてもほとんど何もできないことが予想され、そうすると休まざるを得ず、職場の人に毎回迷惑をかけてしまうし、それだけ収入も減るので、家計に余裕があるわけではないため母にも大きな負担をかけてしまうことになっていました。

自分自身が病気で自立がままならないのに人の支援はできない、ということに気づきました。

だから、仕事は、自分の病気のことも考慮して、無理なく続けることができる仕事をして、そのためのスキルをどのようにして身に着けるか、という方向に考えを変える事にしました。

なので、現在はパソコンを使う仕事をしながら、パソコンを学んでいます💻

今の仕事は座って黙々とできるので、以前のように休んでしまうこともなくなりました。

それでも、緘黙の経験を何らかの形で生かしたいとは思っているので、今は自分の体験談をブログに書いたり、動画を作ったりするのを続けていきたいな、と思っています。

 

 

放課後等デイサービスの仕事は4年半位続けましたが、この4年半、本当に貴重な経験をたくさんさせてもらえたので、この期間のことを忘れずに、今後も頑張っていこうと思っています。

 

 

 

 

詠めない

今週のお題「575」

 

小学生から高校まで学校に通っていて、標語や川柳、俳句を詠むと言う課題があったことを思い出しました。

私はこの課題が苦手で苦手で仕方なかったです。

「575」のリズムに合わせて、川柳や俳句は自分の心情だったり、季節の情景だったりを表現したり、標語は交通安全やあいさつ、薬物防止などを訴えたりするために、見た人の印象に残るように作らなければいけません。

「575」という、たったの17文字で表現するのって、とても難しい事だと感じていましす。

私は普段、日常で起こったことや思ったことをTwitterでつぶやいていますが、Twitterは140文字っていう制限があって、140文字にまとめるのすら文字数が足りないと思う時もたくさんあるので、17文字で人に伝わるものを作るなんて高難易度すぎると思います(゜_゜)

また、私は小学校から高校まで自分の考えていることや思っていることを他人に知られることに強い抵抗を感じていました。

私は場面緘黙症ですが、その症状の一つに、「自分が話しているところを他人に見られることに強い抵抗を感じる」というものがありますが、それの影響も少なからずあるかもしれません。

 「575」って、自分のアイデアが思いっきり出てしまうものだと思います。

小中高時代の当時、普段全く言葉を発さない私がどんなアイデアを出したか知られることは、耐え難い事でした。

「575」の課題は、絵や習字などと同様に、教室の後ろの壁に貼られることもあり、それがまた恥ずかしかったと記憶しています(〃ノωノ)

 

また、私は放課後等デイサービスで子供たちに学習支援をする仕事をしていましたが、子供たちの夏休みや冬休みの宿題で標語や川柳、俳句を作るものがあり、それについてアドバイスなどをすることもありましたが、自分が書けないものを人に教えることなどは非常に難しく、季語の調べ方を教えたり、季節ごとの思い出などを一緒に書き出したりすることはできましたが、アイデアの例を出す事はできず、私よりも子供たちの方がアイデアをポンポン出していて関心するばかりでした。


ここで一句。

五、七、五

いつになっても

詠めないな



梅雨めー!!!

今週のお題「やる気が出ない」

 

最近、ジメジメした蒸し暑い気候が続いていますね☔

今年はまだ5月の中旬だというのに、私の住んでいる地域では梅雨入りし、しばらくはずっとこんな天気みたいでかなり気がめいってしまいます。

梅雨が明けたら今度は台風の季節に入るし、今から気候で体調がすぐれない日が多くなると思うと本当にしんどいですね(´;ω;`)

 

昔は雨の日は特に嫌いではなかったのですが、成人してから雨の日は体調が悪くなることが増えました。

まだぴちぴちの未成年の時は雨音や、傘に雨が当たる感覚が割と好きでしたし、警報が出るレベルの大雨や、台風が直撃するときなどは、普段は地獄だった学校が休みになることもあり、狂喜乱舞した思い出もあります。

気候によって体調不良を感じ始める20歳までは、悪天候に心から感謝することもあったのが今となっては噓のようです。

 何故私が成人してから雨の日に具合が悪くなるようになってしまったのか、明確な理由はわからないのですが、私がうつ病になったのが20歳の時だったので、うつ病になったのと同時に気候にも体が影響を受けるようになりました。

 

 私のうつの症状は、気分の落ち込みなどの情緒不安定、体の疲れやだるさ、肩こり、腰のこり、頭痛などで、雨の日になるとそれが大体普段の1.5倍ほど酷くなります。

なので、雨の日ばかりが続く梅雨は本当に苦手です(-_-;)

仕事以外の時間は大体家で横になってしまっていますね。

その横になっている布団もなんかジメジメしていて不快なんだけど、雨だから干すこともできないし、それもまた嫌ですね。

 

でも、去年までと違って毎日仕事に出勤できているので、仕事に出勤し続けることを目標に、調子が悪くなりすぎないように注意しながら梅雨を乗り切っていこうと思います。