なおの場面緘黙症日記

外で喋りたくてもうまく喋れない私の日記。YouTube「場面緘黙症なおちゃんねる」→ https://m.youtube.com/channel/UCFu5NR7KQwj8G0q6uzjNUVA

父親

今週のお題「おとうさん」

 

いきなりだが、私の両親は、私が15歳のときに離婚している。

もう10年経ったのかぁと思うと不思議な気持ちになるなぁ。

「私の両親離婚してるんです」

っていう話をすると、皆気を使って、私に父親のことについて詳しく聞くことはしなくなるから、私は誰かに父親の話をしたことはあまりない。

だから、ちこっと書いてみようと思う。

 

父親は、このブログでは以前私が毛深い話をした際に、ちらっと出てきた。

naotora57.hatenablog.jp

外見は、両津勘吉

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ネオ・コルテックスに似て、

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とても濃かった。

これらのキャラクターを見ると、すぐさま父親が頭に浮かぶ。

 

父親の話をすると言っても、正直言ってろくな思い出がない。

まず、休みの日は、父は自分の部屋にいるか、パチンコに出かけるかのどちらかで、あんまり遊んだ記憶が無い。

私の緘黙についてもあまり考えてくれなくて、

「いい加減話せるようにならないとね」

としか言ってくれなかったし。

でも、僅かな記憶を呼び起こしてみると、

「アルミ缶の上にあるみかん」

だの、

「トイレに行っといれ」

だの、

「カッターを買ったァ」

だの、酷い親父ギャグを連発しているような人だったな。

本当に、稀に家族で出かけたときはこんな感じだった。

 

父は、母と夫婦だったときから、勝手にお金を使ったり、借金をしたりしていたようだった。

離婚するときは、家族に何の相談もなく勝手に退職していて、しかも、生活費をパチンコで稼ごうと本気で思っていたようだったから、逃げるように私、母、弟は父から離れた。

離婚したと話すと、皆気を使うのだが、私は父に大して特に思いがなかったので、離婚で精神的にやられてはいなかったが、崩れゆく家庭に弟は心をすごく痛めていたようで、この離婚が

↓この記事の時期弟が荒れていた理由だったりする。

naotora57.hatenablog.jp

 

そんな感じで離婚したため、私は離婚してから父親とは1回も会ってなければ連絡も取っていないけど、私が大学に受かったと聞いて喜んでいた、というのをいつの頃だったか聞いた。

嫌な気はしなかったけど、素直に喜べるかんじでもなくて、何とも複雑な気持ちになった。

 

今、父は、私の父方の祖母と暮らしているようなのだが、詳しいことはよく分からない。

母も今は父とは一切関わっていない。

祖母ももう結構な歳だと思うけど、2人は今どうしてるのかな、とたまに思う。